偉人に学ぶ

進歩しなければ退歩と同じ 3 ~フローレンス・ナイチンゲール

進歩しなければ退歩と同じ 3 ~フローレンス・ナイチンゲール
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どんな仕事でも実際に学べるのは現場だけ

F・ナイチンゲールは、理想を語るより常に行動を優先しました。表面的な同情よりも冷静な合理性を重んじています。病室の夜回りを欠かさなかった「ランプの貴婦人(F・ナイチンゲールの愛称)」は、絵画ではランプを掲げていますが実際は患者の睡眠を妨げないように患者の目線に当たらない低い位置にランプを持ったといいます。
看護の原則に新鮮な空気・陽光・暖かさ・清潔・静寂を挙げる彼女は建築に関しても学び、看護医療の立場から病棟設計に関しても提言しています。換気と陽光のための窓を1~2ベッドに1つ設置・感染予防のために患者の密集を避け各ベッド間には1.5メートルの間隔が必要・食事や読書のためのオーバーテーブルの設置・患者の気分転換のためのデイスペースの確保、そのほか病棟の方角や広さ・バックヤードの配置、ナースステーションとの距離など細かく言及しています。この病棟モデルは「ナイチンゲール病棟」とよばれ、現代でも病棟の基本として世界で導入されています。その他多くの提言のすべては彼女の経験と看護・医療の勉強、信念から導かれたものですが、初めての改造に結び付けるためには時には体制権力や階層権威に対してひるまずに見解を述べる勇気・気概・覚悟が必要でした。数字から人間の状況や変化を読み解き看護・医療の変革を進めた彼女にとって、統計は結果報告というより説得の裏付け・行動の確認・今後改善すべき点・迷いのない教育のために必要な資料だったのでしょう。

正しい仕事には弁解の必要がない

帰国後から約50年間、病床にありながら彼女は使命感を途切れさせることなく精力的に執筆活動を続けます。人間の健康と生活に対するテーマが多く、看護のあり方を訓える『看護覚え書き』・病院のあり方を説いた『病院覚え書き』のほか、弱者に対しては安易な施しではなく自立への教育と道筋を示すべきとした『救貧覚え書き』で今日の国際福祉・社会福祉の根幹となっている考え方を明示しています。その他、労作は政府への膨大な提言書・各界からの依頼原稿・講演原稿など印刷文献150点以上・手稿文献12000本以上に及びます。これらは「ナイチンゲール文献」と呼ばれ、いずれも150年以上たった今でも色褪せない臨場感をもって、現代のテキストとして世界に受け入れられています。

犠牲の上に成り立つ仕事は間違っている

F・ナイチンゲールの看護・医療に対する怒りにも似た強い情熱はどこから来るのでしょうか。彼女の行動や言葉からは、論理的で冷静な強い意志が感じられます。パイオニアの常か、旧来の状況を打破して改革・改善するために、物を言い・証を示さねばならなかった彼女は幾多の政争や権力争いに巻き込まれています。生易しい精神では超えられなかったでしょう。根底にはゆるぎない「人間」に対する愛情と期待・尊重があったことをうかがわせます。
困難はあっても健康で幸福な生活をしてほしい。現場で働く看護師に対しても同様でした。博愛精神から自分を犠牲にして尽くすボランティアの考え方とは一線を画し、初期の赤十字社にも参加していません。「看護師の心身が健康でなくては良い仕事はできない、看護は辛い仕事ではなく人生最高のよろこびのひとつであるべきだ」と言い切っています。近代看護の現場の原則として看護師の勤務時間・休憩・休日などの労働条件が設定され、勉強を続け報酬を得る専門職として確立するきっかけとなり社会を動かしました。
そうした毅然としたプロの精神と行き届いた看護姿勢に感銘を受けた国際赤十字社の1864年創設者アンリ・デュナン(第1回ノーベル平和賞受賞者)は彼女の功績と思想を高く評価し、赤十字社の範となるべき精神的支柱として看護教育に取り入れました。今でも彼女が貫いた看護の精神は、世界の看護師界に「ナイチンゲール誓詞(憲章)」として大切に伝えられています。彼女もまた「赤十字のもとでは誰もが敵味方で区別されない」医療に共鳴、理解して支持するようになります。

愛とは、過ちや対立を許容できること

強い信念で貫かれた彼女の功績も決して一人だけで成し遂げたものではありません。彼女の志に賛同した多くの看護師仲間はもちろん、旧弊な常識から擁護し支援を惜しまない人々がいました。知人だったシドニー・ハーバードはクリミア戦争時には戦時大臣を務めていて、いち早く彼女の資質を見抜きクリミア従軍を依頼しています。その後、報告を通じて親交を深めたヴィクトリア女王とのパイプ役として、また軍部との影の調整役としても協力しました。教えを乞う内に共同研究者となった統計学の師であるL・アドルフ・J・ケトレー、出発意思の違いはあったものの後に理解を深めたアンリ・デュナンなど、信頼し尊敬し合う人々とのチームワークに支えられて彼女自身も成長したのでした。

言葉ではなく、結果をもたらす行動を

F・ナイチンゲールの偉業は世界に知られ、各国から多くの人が面会に訪れています。日本からは、当時の日本赤十字社社長 石黒忠悳・看護教育の草分け 佐伯理一郎・東京慈恵会医科大学創設者 高木兼寛・津田英語塾大学創立者 津田梅子・東京女子大学創立者 安井てつなどが訪れ、各々のその後に大きな影響を受けています。
彼女が他人から受けた知見や助言を、彼女もまた後進のために惜しみなく提供したのです。
彼女の生涯を通してみられる、外界に惑わされない向学心・現状を破る強い意志・他者への配慮と尊敬・人間らしい暮らしの確保・信頼できるチームワークなど、現代に生きるビジネスパーソンの成功にも欠かせない要素と言えるでしょう。

F・ナイチンゲールは1901年完全失明した後、1907年に女性初のメリット勲章(イギリス君主から授けられる最も名誉ある騎士団勲章)を受け、1910年8月13日に90歳で永眠します。派手な振舞いや高名を嫌った彼女らしく遺志によって国葬を拒み、イギリス ハンプシャー州の聖マーガレット教会墓地にある墓には、イニシャルのみが刻まれています。

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