インソース・ビジネスレポート
グローバル・タレント育成のためのフィリピン活用について
前節の話は、20世紀末の現代史として、日本でも比較的良く知られているところであろう。問題は21世紀に入り、韓国企業が今日の華々しいポジショニングを築き上げた礎が、いったいどこにあったのかということだ。昔から韓国をライバルとして認めたくない日本には、残念ながらその躍進に関する研究がきわめて少ない。この点、文部科学省官僚の岩渕秀樹氏が、在韓日本大使館駐在中の取材を基に著した『韓国のグローバル人材育成力』※10は、その大きなヒントとなる。結論を先にいってしまうと、この20世紀末の国家存亡の危機が、結果的には韓国とその国民に、革命活動への起動スイッチをオンにしたと筆者も考えている。
考えてみて欲しい、アジア通貨危機以前に韓国の存在をライバルとして意識した日本人はどれほどいただろうか。90年代の日本国内のムードも、韓国を意識する以前に、現代自動車のソナタがアメリカで売られ始めた報道を聞いても、それを脅威と感じる論調はほとんどなかったと記憶する。それどころか、事情通は韓国企業の借金体質を問題にしていたし、大半の一般人はそのような状況すら知らずに過ごしていたのではないだろうか。アジア通貨危機の最中に香港に居たような筆者でも、韓国というと日本よりもはるかに露骨な内需産業保護政策の規制に守られた、貝のように堅く閉じた国というイメージしか持ち合わせていなかった。
そのような国がわずか15年余でここまで変化し、グローバルの先端を突っ走るサムスンはアップルに堂々と対峙して、世界の景色を変えようとすらしている。韓国は日本や日本企業をこれまで冷静に観察し、研究し尽くしていたようであるから、日本も韓国から謙虚に学ぶ番が回ってきていると考えるべきである。
岩渕氏の著書を読むと、2000年代以降のサムスンやLGといった韓国企業の蘇生から、その後のグローバル・マーケットでの破竹の進撃に至るまで、それらが可能となった背景の一端をうかがい知ることができる。
韓国は以前から学歴競争社会ではあったが、アジア通貨危機以降はそれがさらに激化したと思われる。格差社会が日本の比ではないといわれる原因もここにあるが、人口5千万人の国内マーケットだけでは企業は成長できず、海外に活路を求めるより他に生き残る道はなかった。英語を学ばなければならないという危機感も、背水の陣の中で必然的に芽生えたと考えられる。
現在、韓国の一流企業には英語ができなければそもそも入社はかなわない。採用プロセスにおいてTOEIC900点で足切りが実施されるといわれているが、要するにこれがエントリーするにあたっての最低要件なのである。もっとも、このような状況が急に出来上がるわけがない。アジア通貨危機の前後、韓国人の英語力は日本人と変わらず低かったのである。
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