グローバル化がいわれはじめた初期の段階では、企業の人材育成の課題はともすると語学研修に偏重していたように思います。さすがに最近ではグローバル人材育成=語学に堪能な人材の育成と短絡に結び付ける傾向は少なくなっています。しかし、いまだにグローバル化を単に日本の企業が、海外に進出していくための対処と位置づける傾向が強いのは否めません。
成長企業にとってグローバル化と人材育成をどのように位置づければよいのでしょうか。そもそもグローバル化=海外進出ではないと思います。また、「競争の激化」とは単純に労働コストの勝負でもないはずです。一言でいえばグローバル化とは「これまで通用していた事柄が通用しなくなった時代に突入した」と捉える必要があると思います。当然、この通用しなくなった内容には雇用を含めた人材の育成も含まれます。
グローバル化とは日本国内の企業における雇用対策が世界と直結したということです。そのため、企業で行う人材育成は従来型(これまで通用していたもの)の踏襲では対応はできず、日本国内のグローバル化に対応できないということです。
国内企業であろうが海外進出をしている企業であろうが、そこで働く人びとを対象とした人事マネジメントが世界に直結したことで、これからの人材育成に「何が問われるか?」という整理が必要です。この過程で忘れてはならないのは、従来日本で行われていた人材育成を含めた人事マネジメントの取捨選択ではないかと思います。
例えば、社内公用語を全て英語にしたからといって、社員がグローバル人材に変身するわけでもありません。グローバル人材とは文字通り「世界に通じる人材」ですが、世界に通じるとは自分の頭で考え"積極的な姿勢と行動"を堅持して、将来予測のもとで問題を発見し解決していける自立(独立)・自律(self-control)できる人材ということです。海外展開しようがしまいが関係ありません。
これまで、日本の企業内研修のポイントはあくまで社内だけで通用するスキルの蓄積を重視してきました。その結果、A社では通用するがB社では全く通用しないというケースも発生してきました。また、本来個々人のビジネススキルであるはずの態度能力や対人関係能力も企業ごとに形成されるなどという珍事も起こってきました。
グローバル人材育成に迫られているから、「自立(独立)・自律(self-control)人材を育成する」のではなく、そもそも、これまでの企業内のこの種の人材育成を実施しせず、育成できていないということが問題となっているのです。
厚生労働省が行った第9回雇用政策研究会資料によれば、経営者が望む人材イメージとは、「未知の世界、時に非常に厳しい環境に、『面白そうだ』『やってみたい』という気持ちで、積極的に飛び込んでいく前向きな気持ち、姿勢・行動力を持っていること。しっかりと自分の頭で考え、課題を解決しようとすること」とあります。
この人材イメージはグローバル化が喧伝されてから急にいわれはじめたことでしょうか。私は企業人に普遍的に求められる人材イメージであると思います。つまり、今も昔も企業人に求められているのは「グローバル人材」ということです。
人材育成の一環として若手社員に対して、幅広い知識の習得を奨励し機会提供をしている成長企業があります。そこの社員はビジネス上の話題はもとより、例えば海外で高い評価を受けている日本の作家の著作評や映画監督の作品評などについて一家言があり、海外の取引先担当者と議論を闘わせたりもしています。そして相手の異なる評価に対しても共感しつつ、自分の考えを開示して議論を闘わせます。議論が成立するのは、互いの意見が合わなくとも相手の考えを尊重することができるからです。つまり、その社員が自分の考えをしっかりと持っているからです。
グローバル人材育成とは、相手を尊重し違いを互いに認め合いつつ、自分の考えを開示していく自我形成をさせていくことではないかと思います。
もちろん、成長も学習も育成対象者たる本人の努力の結果であることは論を待ちません。
◆本間 次郎◆
株式会社ノイエ・ファーネ 代表取締役
1954年生まれ。大学在学中より出版・編集業務に携わり、主に労働経済関係をフィールドとし取材・執筆、編集業務に携わる。1992年から中小企業経営 者向け経営専門誌の編集および、教育・研修ツール(冊子媒体、ビデオテープ)等の作成、人材の教育・育成に関する各種オープンセミナー・インハウスセミ ナー企画の立案・実施、人材開発事業・人事コンサルティング業務に従事。
2010年11月に『人と企業組織が互いに「広い視野」「柔軟な思考」「健全な判断」に基づいて行動し、最適な働きの場を創り出していく協働に貢献する』を使命とする株式会社ノイエ・ファーネを設立。