「私は銀子」 特別インタビュー【後編】日本経済を支えるのは誰か?
私は銀子(仮名)。改めて周りを見れば、街角に置かれた自販機からタンカーや衛星、教育や輸出入など、日本経済の全ては営業活動によって動いているようです。
学校で学んだ経済の仕組みを実社会で体感するために、新卒の多くが営業に配属されます。
しかし早期離職の理由の一つに「仕事内容のミスマッチ」があげられてもいます。営業職に対する苦手意識や先入観によって、不安に駆られることも多いのでしょう。
はたして企業の花形と言われる営業職に自分の活路を見出せるのか。営業職を目指す人も目指さない人も、現役の営業担当者がもっておいた方が良い、自分を支える指標とは何でしょうか。
黒田敏之 1979年生まれ。新規開拓から数千万円規模の大型案件まで、オールラウンドにこなす「営業のプロ」。インソース創業期に社員第1号として入社。その後、営業担当から部長・支社長を歴任。その後、起業独立してセミナー会社ウェルシク・ジャパンを経営する一方、インソースのエグゼクティブアドバイザーとして、若手営業パーソンの育成に貢献。自ら講師としても活躍中。
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弱みに泣くより強みで笑え
銀子:営業に向かない人、営業担当者になれない人はいますか?
黒田:いいえ、誰でもなれます。
G :営業スキルを磨けば必ず営業担当者になれるのですか?
K :誰でもなれます! スキルより気持ちです。
G :とは言え、やはり苦手なこともあるかと思いますが...。
K
:学校教育は原則的に、苦手を克服して解消することを目標にしていますよね。でも私は、大事なのは得意を伸ばして活かすことだと思っています。自分の弱みにこだわって縛られるより、強みを強化して羽ばたく方が人生に有益だと考えています。
営業も同じです。無口で話下手でもいいんです。
・お客さまの話を過不足なく聴くこと、
・しっかり観ること、
・誠実に対応すること
以上を実行できれば、営業職を恐れることは何もありません。
例えば、やたら難しい専門用語やカタカナ語を使う、または「アメリカでは~」「○○理論では」など権威の引用を多用する営業担当者がいますが、私は賛同できません。誰にでも分かる平易な日本語でわかりやすく説明することが大事だと思います。
口数は少ないけれど、お客さまの知りたいことを何度でも丁寧に説明できる辛抱強い営業担当者が、饒舌な営業担当者より高評価を得ることは珍しくありません。
逆にお客さまによっては、専門的な新情報などの話を好む方もいます。トレンドに詳しくテンポの良い営業担当者は、ここでは好感を持って迎えられるでしょう。
弱点だと思っていたところが、かえってお客さまの信頼を得ることになった。
そんな例が少なくないのが営業職の面白さでもあります。
取引相手によっては、結果が出るまでに時間がかかる場合があります。それでも変わらぬ態度でお付き合いを続け、やっと信頼を得て結果的に成約になることもあります。派手なイメージのある営業職ですが、こうした地道な活動が成功への第一歩です。
G :営業職に就く後進にアドバイスはありますか?
K :好きなことを仕事にしたい、自分にしかできない仕事をしたい、若い人からよく聞く言葉です。強いて言います。嫌なことでもやってみなければ分かりません。
「嫌」から始まって成功した営業パーソンを何人も知っています。30代後半から営業に転向した人もいます。
君のもつ時間は長い。焦らず、まずは黙って教えられたことをしっかりやってみてください。辞めたい気持ちを何回か乗り越えると、次第に自分のいるべき場所がはっきりわかってきます。方向転換はそれからでも遅くありません。こうした営業経験は、例え方向転換をしたとしても、その後の人生に必ず役立つ自信となって残ります。
最初はだれでも初めてです。どうせチャレンジするなら、ここで学べることはしっかり学びきるつもりで、やってみることをすすめます。
銀子の目
労働力、投資、貿易など国内外の経済は目まぐるしく変化しています。平和な時も波乱の時も日本経済は休みない営業活動によって支えられています。加えて今後のオリンピック不況など、すべての企業の営業担当者が様々な課題に直面することになるでしょう。
黒田氏は学生時代、長距離ランナーでした。スピードと効率を重んじる営業職にあっても、
道程をしっかり把握して緩急の戦略を立て、焦らず休まずゴールに達する知恵はアスリートのスタンスなのかも知れません。続く次世代の営業パーソンの賢明な挑戦が、日本経済の存続と活性化に繋がりますように祈ります。