営業職

「私は銀子」特別インタビュー【前編】 営業が社会を動かしている?

私は銀子(仮名)。営業職の親類縁者がいなかったせいか、長い間一般企業の営業職は、私とは無縁の最も遠い存在でした。しかしインソースに入社して少しずつ勉強すると、世の中の全ての動きは営業活動で成り立っていると思えてきました。

今まで私が漠然と感じていた言葉巧みな「営業」に対する不信感が、誤解や偏見だったことを確認するため、ぜひ営業担当者の生の声を聞きたいと思いました。そこで今回はインソースに入社以来、トップ営業担当者として走り続けてきた黒田敏之氏にお話を聞いてみました。

黒田敏之 1979年生まれ。 新規開拓から数千万円規模の大型案件まで、オールラウンドにこなす「営業のプロ」。インソース創業期に社員第1号として入社。その後、営業担当から部長・支社長を歴任。その後、起業独立してセミナー会社ウェルシク・ジャパンを経営する一方、インソースのエグゼクティブアドバイザーとして、若手営業パーソンの育成に貢献。自ら講師としても活躍中。

目次

営業のレジェンドに聞く

銀子:営業職の他にしたかった仕事はありますか?
黒田:人間関係につまずくことが多く、それを克服したいと思って営業を志望しましたから、ほかは考えませんでした。やるからには真剣にやろうと、就職活動をするときは「営業のプロ」になると公言していました。

G  :社員第1号ですか?
K  :そうです。インソースに入社したときは右も左も分からないので、言われたことを一生懸命頑張りました。営業地盤もなくゼロから切り拓いていくスタートだったので、大変でした。でも、ある程度できるようになると、自由に仕事をさせてもらえる社風だったので、今思えば遣り甲斐のある貴重な体験をさせてもらいました。

G  :何が1番つらかったですか?
K  :一口に営業といっても、新規開拓に向くタイプ、取り引きを増やすのが得意なタイプ、大きな取り引きを継続するのが上手いタイプなど、様々な営業パーソンがいます。私は新規開拓タイプですが、頑張ってやっと受注にこぎつけると別の営業担当者に引き継がなくてはいけない、これが1番つらかったですね。「おいしいところは他の人」なんだから。

G  :辞めたいと思うことはありましたか?
K  :そりゃ何度もありましたよ。でも、先輩から
「いやだからと言って転職しても、次の会社でも必ず同じ問題にぶつかる」
と言われて考えなおしました。
インソースは個人プレーや仕事の抱え込みを嫌い、チーム力で成長しようとする社風でしたから、私も次第に考えを改めました。
「誰かが開拓した仕事を別の人が引き継ぐ」チームの仕事として当たり前ですよね。
一人の営業担当者が最初から最後まで1件の仕事に執着していたら、ほかの仕事が広がらないし、ほかの営業パーソンが育ちません。
ある時、社長が言ったんです。
「私が一人で仕事を抱え込んで成功したとしよう。でも事故にあって私が急にいなくなったら、明日から社員はどうするんだ。お客さまはどうなるんだ。誰かに代っても今の業績を維持成長させ続けられる仕事のやり方であることが大事じゃないだろうか」と。
感銘を受けましたね。チーム力があってこその仕事だと、実感できました。営業活動中、嫌なことはキリなく起きます。でも嫌なことがあるから楽しさが際立つ。障害を乗り越えて得た成果が、営業職を続けてこられた原動力と言えます。

(続く)

銀子の目

黒田氏は、一見屈託のない明るい好青年(好中年?)です。しかし軽妙な言葉の端々から、努力によってつくられた自信、自信によって生まれた余裕が伝わります。もちろん時折見せる鋭い視線や物腰から 第一線営業担当者の冷静な頭脳も感じられます。
多くの顧客にとって、親しみやすい笑顔とシャープな計算力を併せ持つ営業担当者は、信頼のおける取り引き相手なのでしょう。営業は私が思っていたよりずっと、やり甲斐のある誇り高い仕事なのかも知れません。

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