大きな誤解も楽しむ【シルバー就業日記・私は銀子5】
「生涯現役で働き続けたい!」そう願うシニア層が入社した会社は、なんとIT企業でした。。。
当社のシニア世代の社員とそのOJT担当者、それぞれの日記を連載でご紹介します。
◆前回の日記はこちらから:
◆OJT担当者の日記はこちらから:
私は銀子(仮名)。色んなことを乗り越えてきたせいか、良く言えば物事を多方面から見ることができるようになりました。悪く言えば、疑い深くなったのかも知れません(笑)。良い意味でも悪い意味でも、人は何とでも言うし、どんなことでもする、と思っています。また、物事は光と影、良い部分も悪い部分もあって、面白いと思っています。
想定通りにいかないことが日常的に起きます。大いなる誤解・誤算だったとしても、それもまた知恵を絞るチャンスではないかと、最近よく思います。社会や仕事での想定外はよくない出来事がほとんどですが、そうした非常時にいかに対処できるかが組織の実力かと思います。
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高齢就業者に未来はあるか
ダイバーシティ、ジェンダーフリーなど、価値観や状況などが異なる人を偏見や先入観を持たずに受け入れようとする考え方があります。
しかし世代や年齢の区分への考え方には、まだまだ進展が少ないように思います。特に、高齢者は、高齢就労者に対する周囲のネガティブな偏見だけでなく自分には無理ではないかという自分自身への決めつけや「エイジズム」によって、沈黙しがちな世代です。世の中のスピードや成果を青年~壮年の働き盛りの平均値基準で見てしまっているからでしょうか。
若年層では大きくない体力の個体差が高齢になるほど広がり、健康状態や心理状態も大きく変化してきます。年齢とともに個人の経験や能力による個人差が大きくなり、予想以上の力を発揮する人もいれば、未知の領域に踏み込めない人もいます。
「高齢者向けの仕事」などとひとくくりにしないで、個人のスキルや志向にあった仕事の選択肢が増えればいいのに、と思います。
高齢者に限らず、例えば、業種にもよりますが一人で完結する工程の長い仕事や幅広い仕事を細分化して、得意な部分だけを担当する方法だったらどうでしょうか。障がいのある方も障がいに関わらない部分の作業に関しては習熟が可能です。全作業のある部分が苦手なために諦めていた仕事も、苦手ではない部分だけなら自信をもって仕上げられることがあります。部分的な仕事、ワンポイントの専業で習熟すれば、その部分の完成度も高まります。良い仕事をすれば自信になり、障がいのある方にとどまらず高齢者でも、部分の専門職になります。
また介護・妊活・子育てなど時間的な制約が多い場合も、部分的で短いスパンの仕事なら動きやすいかも知れません。マイノリティと言われる立場の就労者も、声を上げやすくなります。
少子化の影響やAIの進歩などにより仕事自体が激減して、すべての年代で仕事をシェアしなくてはならない日が来るかも知れません。細分化された各分野の専門性の高い人材の活用が効率的に実施できれば、組織の人的資源の底上げになり、また将来的な人材の育成にも役立つのではないかと考えもします。
遠からぬ将来に、世代や性別に関わらず個々の専門・志向や特性・都合で仕事が選べる、想定外のパラダイムシフトが起きる可能性もあるかもしれません。
幸福な老いとは何か
高齢者に対しては、心身に悪影響を及ぼす可能性のある引きこもりを防ぎ、社会参加を促す政策が積極的に推奨されています。確かに私の周囲を見回しても老後に何もしない選択をした人より、趣味・ボランティア・仕事など何らかの形で社会参加している人は元気に見えます。(元気だから社会参加が可能だということもあるでしょうが)
あくまでも個人の性向によりますが、趣味の集まりより、ボランティアなどの団体活動、それより仕事の順で、事象への固執は薄れ感情の動きも冷静になると感じます。自分基準の我儘も減るように思います。さまざまな社会参加の形のうちで個人差はあるものの、仕事を続けてきた人の協調性や柔軟性、視野の広さがすぐれているように感じます。現実の社会から得ている緊張感の違いでしょうか。
「人生100年時代」。第一線を退いても、その後の20~30年とセカンドキャリアが続きます。良いこと・悪いことがあっても、「あ~、この世は面白かった」と言って去りたいものです。
Que Sera Sera! 銀子
銀子へ教訓
○できないことより、できることに力を尽くそう
○社会参加はなるべく公的な広い世界が面白い
○我に固執しないでこの世を楽しもう