壁を乗り越える

自分を売り込む

第2回「壁を乗り越えた経験大賞」大賞(50代)

 私は大学を卒業して、新卒で芸能プロダクションに入った。

 勿論、出演する方ではなく、裏方として。俳優のマネージャー。それが現在の私の仕事だ。

 "芸能マネージャー"と聞くと少し特殊な響きがするかもしれない。確かに、働き方や、仕事の内容は少し普通の職業とは違う部分もあるかもしれないが、仕事で得られた教訓や学びは、必ず通ずるものがあると思っている。

 新入社員として入ってから2年目に至るまで、私の中で大きな悩みとなっていたことがある。それは、"取引先相手との距離が縮められないこと"だ。取引先。私で言うと、例えばそれは映画やドラマのプロデューサー。私が担当する俳優を起用したり、企画そのものを考えたりする彼等との関係性は、円滑であればあるほどマネージャーのパワーになる。

 しかし、私はまだまだ1年目、2年目のペーペーである。彼らは自分の作品に出演する俳優のマネージャーであることから、表面上は丁寧に接してくれるが、作品を決めるのは私ではなく、私の上司のチーフマネージャーであるため、正直私のことは眼中にない。

 ほどほどの距離を保たれつつ、作品が終わると、「またご飯にでも行きましょうね」という体のいい社交辞令で別れて、それっきりという事ばかりが続いた。

 「あの俳優のマネージャー」「あの上司の部下」という見え方だけではなく、私自身を面白がってもらえるには、どうしたら良いか考えあぐねていた。

 そんな中、誰もが知っている、ある有名プロデューサーが、「初めて人と会うときに必ずすることがある」というのを風の噂で聞いた。

 彼は、初めて打ち合わせで会う人が例えどんな立場の人であれ、徹底的にその相手のことを調べ尽くすというのだ。過去のインタビュー記事や、ネットに上がっている動画、出身から、交友関係、好んでいる酒の種類や、好きな食べ物まで。

 みんな彼と会うときは、勿論、話を聞くつもりで打ち合わせに向かうのだが、余りにもさり気に相手の話に耳を傾け、引き出してくれるものだから、たった一度会っただけで、彼は全ての人を虜にしてしまうらしい。

 それを聞いた時、私はハッとした。これまで私は、「どうやって自分をアピールするか」という事ばかり考えていた。しかし、人というのは、みんな自分の話をしたいのだ。相手に自分の話を聞いて欲しいのだ。人の心に入り込むのに、自分自身の押し売りはいらない。相手を理解しようと興味を持つことが重要なのだと。

 それから私は、プロデューサーが過去に担当した作品全てを、事前に観てから顔合わせに望むようになった。そして過去に答えていたインタビューを隅々まで読み込み、年齢を調べ、青春時代に流行した音楽や、映画やドラマ、そのプロデューサーが生きてきた時代に起きてきた出来事を全てさらった。

 彼、彼女らの人生を構成した時代の出来事はどんなだったのか、どんな価値観を持った人たちなのか、仮説を立てて、初めて挨拶をする。

 冒頭に、「私、〇〇さんのあの作品が大好きなんです」と一言言えるだけで、反応は見違えるほどに変わった。

 そこで手ごたえを感じた私は、次に「どうやって私自身を面白がってもらえるか」という事を考え始めた。私の得意なことや、長所は何か。何が人より秀でているか、能力としてあるのか。考えた結果、私の有用な長所は、本を読むのが早いこと、だった。

 私は幼い頃から本を読むのが好きだった。そしてその本好きが高じて、読む速度が異様に早かった。学生の時分は、暇だったこともあるが年間250冊程読んでいたほどだ。

 だから私は、撮影現場などでふとタイミングを見つけると、さり気なくプロデューサーに近寄り、世間話程度に「最近読んで面白かった本は何ですか?」と聞いた。

 プロデューサーは皆すべからく大量の本を読んでいる。次の企画のネタ探しや、時代の流れを読む為にも、読書は彼らにとって必須だからだ。

 「うーん。〇〇かな」

 彼らは適当に最近読んだ本を3つほど上げる。

 「へーそうなんですね」

 と言いながら私はスマホを操作し、その場で電子書籍を購入する。

 そして、その日の夜、私は必死にその3冊を読み切る。そして次の日に、何食わぬ顔で、「〇〇さん、あの本面白かったです!」

 と話し掛ける。すると彼らは大抵びっくりする。え!もう読んだの?と。その驚きは、彼らの心に二つの心理を作ってくれる。一つ目は、自分の勧めた本に、そこまで興味を持ってくれた、という喜び。そして二つ目は、こんなに早く読んでくれたのだから、感想を聞かなければならない、という義務感。

 そこできちんとその作品の本質を理解した感想が述べられれば、「この子は、分かってる子だ」と思ってもらえる。決して押し売っているわけでもないのに、自然に私自身に興味を持ってもらえるのだ。

 この手法は、効果てきめんだった。3年目になった私は、どの局にも作品について相談できるプロデューサーが作れたし、食事会や、そこから派生する交流関係など、様々な機会が舞い込んできた。

 私は今、仕事がすごく楽しい。


 私が、今回この壁を乗り越えたことで学んだ一番のこと、それは、"仕事の時間以外に、創意工夫をすること"だった。

 今年、私は25歳になる年なのだが、私の同年代の人々はどうにも仕事と自分の生活を切り離して考える人が多いと感じる時がある。"ワークライフバランス"=仕事と切り離されたプライベートの時間が多いこと、で、しかし同時に仕事に対しての悩みがプライベートを侵食している。

 そんなアンバランスな生活の中で求めるのは、タイパが良い仕事。そんな考え方も悪く無い。でも、私は仕事も自分の生活の一部であると考えた。仕事の調子が良いと、プライベートでの気分も良い。勤務時間以外の、+αの努力をどのようにすれば良いのか研究し、実践した。

 勿論時には仕事の一切から解き放たれた時間が、人には必要だ。でも、仕事でも壁にぶち当たって、それを乗り越えていけた自信が、人間としての成長にも繋がると私は信じている。

 最高に楽しい仕事と、最高に楽しい人生の両立を目指して、私は今後も奮闘していきたいと思う。

第2回「壁を乗り越えた経験大賞」大賞
氏名 青木 様

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