英国ウォーリック大学経営大学院ドクタープログラム修了後、2005年神戸大学大学院経営学研究科教授、経営学博士。
専攻は人的資源管理、経営組織。
ここ数年、「名ばかり管理職」という用語が話題になりました。十分な権限やそれに見合う報酬も得ていないのに管理職扱いされ、残業代が支払われない状況を揶揄して使われるようになった用語です。
日本の企業において、とりわけ規模の大きな企業では、管理職とは一般に課長職以上を指すことの方が多いようですが、自分の下に管理すべき部下がいる場合においては、係長も中間管理職の末端を担っているといっていいでしょう。
配下に自身が管理する部下がいないにもかかわらず、組織上「係長」に就いているような場合は、係長といっても文字通り「名ばかり」です。
では、係長職をきっちり務めるには、どういったスキルや能力を身につけておけばいいのでしょうか。
係長と課長・部長とは、そもそも職責に大きな違いがあることはいうまでもありません。
このことを、ハーバード大学のカッツ(Katz、 Robert、 L.)教授は、マネジメント層によって求められる能力が異なっている点に着目して、次のように説明をしています。
「まず、『テクニカル・スキル』とは、業務を遂行する上で必要な知識やスキルのことで、係長クラスのロワー・マネジメント層に必要なスキルであるとされます。
次に、『ヒューマン・スキル』は、相手の言動を観察・分析し、目的達成するために、相手に対してどのようなコミュニケーションや働きかけをするかを判断・実行できるスキルであるとされ、ミドル・マネジメント層に必要なスキルであるとされています。
そして『コンセプチュアル・スキル』とは、発生している事象や状況を構造的・概念的に捉え、事柄や問題の本質を見極める力を指すと説明されています」
このくだりだけを読むと、あたかも係長クラスにはテクニカル・スキルのみ必要で、ヒューマン・スキルやコンセプチュアル・スキルは課長・部長になってから身につければよいように思われがちです。果たしてそれでいいのでしょうか。
実は、一見まっとうに見えるこの論法には重要な落とし穴が潜んでいます。
それはずばり、ヒューマン・スキルやコンセプチュアル・スキルは、一定以上の年齢になってから身につけるのは非常に困難である、という事実です。
日本企業で係長職に就くのは、早くて20歳代の後半頃、概ね30歳代の前半であることが多いようです。
人間関係の機微をとらえてうまく交渉したり、自由な発想でじっくり物事を考えたりすることができるようになるためには、どんなに遅くとも、この20~30歳代の若い感性と頭脳で訓練しておくことが不可欠なのです。
では、そのためには何をすればいいのでしょうか。高校・大学時代にもっと勉強をしておくべきだったといくら嘆いてみたところで、今さらどうにもなりません。
私は、係長職にいる若い頃にこそ、その会社のいちばん重要な戦略上の問題を考える癖をつけてもらうことを提案したいと考えています。
カッツ教授の言説とは順序が逆になりますが、コンセプチュアル・スキルとヒューマン・スキルは頭と感性が若いうちに鍛錬し、テクニカル・スキルについては、もう少し後になってからでも手遅れにはならないのではないかと考えています。
それが企業の道理に反するなら、テクニカル・スキルの訓練にあたっても、そのスキルのみを切り離して教育訓練しようとするのではなく、ヒューマン・スキルやコンセプチュアル・スキルもともに高めていけるような教育プログラムであればいいでしょう。
一見つまらない、些細なテクニカル・スキルでも、その背後にある深み―意味や構造、その存在意義―を、係長になろうとする若い社員にも考えさせるような教育です。
入試のための受験勉強がつまらないのは、単なる知識の暗記に終わってしまいがちだからです。
知識の奥にある奥深い意味やそのコンテキストを知ることで、同じ受験勉強でも途端におもしろくなります。会社に入ってからの勉強も同じことです。
かつて日本的経営がもてはやされた時代の係長と違い、昨今の係長はこなさないといけない仕事が多々あり、その内容も多岐に渡るようになっています。
その大きな要因となったのが、いささか旧聞に属しますが、情報技術(IT)の発達です。
私はITの発達が日本企業の中間管理職の職務をどのように変化させているかを調査したことがあります。調査前に私が立てていた仮説は、「日本の中間管理職はかつてよりも、ITを用いることで、
というものでした。しかし、調査結果はこの仮説どおりではありませんでした。
確かに(1)の仮説のように、ITの導入によって、中間管理職従事者はかつてよりもはるかに多くの職務に従事していることは実証されました。
インタビュー調査から「以前の2倍近い仕事量になった」と話してくれた係長さんも居られました。
このように、多種多様な職務に就いていることはわかったのですが、係長より上位職である課長や部長層の仕事が下りてきて、高度に戦略的な業務の数が増えたかというと、結果はそうではなかったのです。
実際には、相変わらず(言葉は良くないのですが)誰でもできそうな"雑務"や他部署との"調整業務"(・・・これは見方によっては重要な職務ですが)が大半で、そうした職務の分量が飛躍的に増大した、というのが実態だったのです。
〔このあたりの事情の詳細は、『柔構造組織パラダイム序説』(文眞堂、1994年)という書物に掲載されていますので、ご関心のある方はご一読下さい〕
では、こうした種々雑多な仕事内容をこなす必要のある係長は、どのように対応すればいいのでしょうか。ここで役立つのが、以前に紹介した「戦略的思考法」です。
まずなすべきは、自分がこなさないとならない仕事のリストアップです。このリストアップは、あらゆる戦略的思考方法の基本中の基本となるステップです。
リストアップするということは、まず自身が置かれた状況や仕事の全体状況を、まず大きく俯瞰してみることを意味しています。
リストアップが終われば、そのリストに優先順位をつけることが次のステップです。単に時間的な順序づけをせよということではありません。
何がより本質的で、また何がその本質事項から派生した些末な事項(しかし、こなさないといけない事項)であるかを考えることです。
場合によっては、ある事項は他の事項の下位に位置づけられるのではないか等、いろいろと思索しながら優先順位をつけてみることです。
このステップでは、当然にリストアップを分類し直したり、新たに事項を付加したりといった、知的プロセスが含まれます。
優先順位づけが終わり、ひとまず整理ができれば、あとは1つ1つこなしていくだけです。
ただ、1つ1つこなしていく際にも留意すべき点があります。それは、何でもかんでも全力投球というのはダメ、ということです。
学生時代に勉強が良くできた優等生タイプの係長が陥りがちな誤りは、すべてちゃんとできないと気が済まない、中途半端では気持ち悪くて次に進めないことです。
言葉は悪くて恐縮ですが、ビジネスでは、仕事によってはたとえ中途半端であっても、あるいは宙ぶらりんの状態のまま放置しておくことも、重要な1つの仕事の進め方なのです。
"できる"係長は、このように、仕事の重要度のランクづけ、力の抜き方(戦略論でいえば「資源配分」に当たります)がよく理解できています。
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