礼は之和をもって貴しと為す
VUCA(予測困難)時代にあって、従来にも増して人材が重視されています。価値観の異なる多様な人々が互いに不愉快な思いをせずに仕事が進めば、組織の生産性は向上し安定した人間関係が築けます。相手を重んじる心からの礼節が、組織の信頼を育む原点として今改めて問われています。
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まえがき 「礼は之和をもって貴しと為す」(れいはこれわをもってとうとしとなす)
VUCA(予測困難)時代にあって、従来にも増して人材が重視されています。価値観の異なる多様な人々が互いに不愉快な思いをせずに仕事が進めば、組織の生産性は向上し安定した人間関係が築けます。相手を重んじる心からの礼節が、組織の信頼を育む原点として今改めて問われています。
そもそも礼とは
まだ人間が天からの災厄を畏れ、無事を祈って感謝を捧げた時代に祭礼神事が生まれ、季節の農事・集落の暦ができました。
天の威力の下に心を一にして自然の驚異と戦うための、共同体の結びつきを固めるためといっても良いでしょう。儀礼は、同じ空のもとに暮らす仲間との互助と親和を強化しました。
村落が大きくなって役割が生まれると治者と被治者が分化し、宮廷儀礼・政治経済のルール・職務職責など階層による決め事などが定められました。階級による義務・責任・特権は身分の差異を生み、踏み外せない区別となって、上下の関係で礼は欠かせないものになります。かつて作法は祭礼行事における動作の手順・段取りでしたが、次第に貴族社会の身分秩序における心構えを表す礼の作法となったのです。
礼儀の浸透
やがて強者が力を発揮する武家社会になると、礼法は権威と格式を表す規範化された行動様式になりました。平安時代中期からあった「故実(こじつ:先例に基づいた儀式・行事・制度・法令・装束・作法・風俗・習慣など行動に関する根拠や規範。公家故実・武家故実などがある)」が体系化され、故実に詳しい者を「有職(ゆうそく)」と呼び重用されます。
室町時代には公家故実・武家故実が統合され、小笠原流・伊勢流などの礼法の流儀がうまれ、江戸時代には教化や模倣などにより広く町人にも広まりました。近代に入って公家・武家制度が廃止されると一般的実用的な故実の研究も終わりましたが、今も継承・活動している流派もあります。
習うより慣れよ
一方、庶民の食事や挨拶、序列や慣習など日常生活上の行儀作法は、地方ごとの風物・文化を加えて各々のしきたりとして定着していきました。庶民の礼法はおもに家庭内で、戸の開け立て・箸の上げ下ろし・持ち物衣類・季節行事の始末・冠婚葬祭や神事・仏事などの作法、立ち居振る舞いなどが細かに教育されました。ある程度の作法をたしなみ・身をつつしみ・相手をはばかるなど微妙な心遣いは、すべて人様が不愉快な思いをしないための敬意と感謝を表す行動として躾けられることでした。躾レベルの行儀作法は常識となり、自分がされて嫌なことは他人にもしないお互い様の思いやり・心遣いに繋がります。
筆者の通った中学校では、壁で隔てた2つの部屋に室内用の電話回線が引かれていて、電話の受け答えの実習授業がありました。改まって作法のカリキュラムがあった訳ではないけれど、家庭科やホームルームの時間などが時々作法の練習に宛てられました。祝儀不祝儀で避けるべき振舞いや言葉・贈答や手紙の時期や季節の挨拶・お辞儀の仕方などなど窮屈に感じたことも度々でした。家庭では朝夕の挨拶・ものを食べる順序・社寺の参り方・訪問先での立ち居など、面倒に思える細々を教えられました。時代が過ぎて社会・建物・服装・習慣も変わり、今では不要になった習慣や決め事も少なくありません。が、いちいち注意されて煩わしかった行儀作法の教えが、今ではありがたいと思えます。もちろん忘れて身につかず、省略も多くなってしまったけれど、本当はどうすべきか・何がなぜ失礼や無礼になるかなど、基本の考え方が理解できます。
親しき仲にも礼儀あり
現代では稽古事としての柔道・弓道・剣道などの武道や、華道・茶道・香道・書道など、礼に始まり礼に終わる心身を鍛えるための修練にはそれぞれ理由のある礼法があります。しかし指導書や教本通りの形だけではありません。「道」を学ばなくとも改まった場所への出入りの礼、指示されなくても汚さずゴミを持ち帰る心遣いなど、礼はすべて他者への気遣いや感謝の自発的な行動を身につける訓練でもあります。こうした日頃の行動が見えない信頼を呼び、人間関係の障壁を低くします。
ビジネスパーソンとして
誰でも社会に出て初めて、礼儀の重要さを痛感します。緊張する場限りのマナー本を暗記したような礼儀では、通用しないことも身に染みることでしょう。そんなこと教えてもらわなくても分かっている、必要な時にはちゃんとできると思い込んでいると、底の浅さが露呈します。他人から上辺だけ取り繕う人間と認識され、信頼できないと判断されてしまいます。
知見も規範も身につけた相手が見ているのは礼儀作法の型だけではなく、その心根・姿勢だからです。隠してもこぼれ落ちる不実な本音から、商談も上手く運ばないかも知れません。
誠実があっての礼節です。真摯に他人と向き合う姿勢が相手に通じます。
それゆえ組織は、組織内であっても相手を不快にさせない礼節を重んじ、信頼関係の構築を図っています。礼節はビジネスのためだけではありません。結局は自身の人間性を高めるための有効な訓練でもあります。
礼のありようは変わらない
時代とともに社会の価値観も文化も変化しています。かつてコンプライアンスとは、法令を遵守するとともにその体制を整備することを指しました。今では、法令に違反しないことはもちろん、法令等の精神や価値観を遵守して、企業倫理・社会的規範から就業規則・人権ルールなどまで含めて、組織の活動を実践していくことが求められています。人材の確保・社会的な信頼の獲得のためにも、礼節遵守が組織を守るといってもいい傾向です。
時折、礼節を逸脱することが新しい自由だと曲解する人がニュースを賑わせていますが、どんなに時代や状況が変わっても、信頼を得る最善の方法は誠実に礼を重んじることだと心したいと思います。