偉人に学ぶ

岩崎小彌太に浸る7日間vol.2「先進的な組織改革と独自の進化形態」

目次

三菱の凄さ

小彌太は1906年に日本に帰国すると、5月に三菱合資会社副社長に就任します。社長は3代目の社長の岩崎久彌でした。

この当時の三菱のすごさを示す数値として、1887年当時の高額所得者番付で、1位は岩崎久彌697,000円(現在の139億円)、2位は岩崎彌之助(2代目社長)で250,700円(51億4千万円)で、この時の国家予算が8800万円(1兆7600億円)ですので、2人で国家予算の1%程度の所得がありました。
(山本博文監修『明治の金勘定』洋泉社、2017年、138p)

現在でいうと、国家予算は約100兆円なので、その1%となると、1年間で1兆円の収入がある人ということになります。ビルゲイツ並みの高額所得者がこの当時、日本に存在していたのです。

三菱の組織改革~事業部制への移行

さて、その3代目社長久彌と副社長小彌太による体制の1908年~1911年の間に、三菱合資会社では、事業部制への組織体制の改革をします。多角的な事業展開を行うための組織改革で、後の事業部の株式会社化、本社の持株会社化とその本社を中心としたコンツェルン結成への端緒となりました。
(宮川隆泰『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』中央公論社、1996年、60p)

1910年代には、三菱だけでなく、三井、住友など他の財閥でも、コンツェルン的な組織の形成が始まった時期でした。三菱の組織改革の特徴として、あらかじめ定められた計画やモデルがあったわけではなく、また、都度、状況に対応する形で斬新的に進化を遂げていくスタイルでした。

家族経営であるが最先端のシステム

アメリカでも同様に近代の企業組織が形成されつつありましたが、この当時のアメリカと日本との時間的なギャップはせいぜい10年から20年くらいにしか過ぎなかったと言われています。現在でも、日本はこのアメリカとの10年の差を詰め切れていないことが多いので、この時期としては超先進的な組織改革といえます。

ハーバード大学のチャンドラー教授が実証したアメリカ近代企業発展の図式では、家族経営の企業の時代の後に、所有と経営が分離され、専門的経営者が管理組織を形成して、効率的な経営管理体制ができあがるというものでした。(「家族的資本主義」から「経営者資本主義」へ)

アメリカでは、創業者家族のメンバーがその所有する企業の経営に2世代以上にわたって参加することはほとんどありませんでしたが、三菱では4世代75年にわたって岩崎家出身の社長が経営の実権を握り続けました。

この形態だけみると、前近代的な感じがしますが、三菱はこの家族的な枠組みのなかで、近代企業の管理と運営に必要な管理システム、管理組織とこれを効率的に運用する中間管理者層、個々の事業分野において戦略的な意思決定を行う専門的経営者層を形成していきました。
(『岩崎小彌太~三菱を育てた経営理念』64-65p)

この点について、神戸大学大学院経営学研究科教授の上林憲雄教授にコメントをいただきました。

創業者理念を活かす経営(上林教授より)

日本企業には、意外にも創業者一族が経営に関与する同族経営が多い。本コラムにとりあげた三菱以外にも、トヨタやパナソニック、キヤノン、サントリーなど、誰もが知る名だたる大企業も、もとは家族経営から出発している。同族経営を前近代的なシステムで時代遅れとみなしがちな、資本主義の大国アメリカとの大きな違いである。

こうした日本企業を注意深く観察すると、程度の差こそあれ、いずれの企業も創業者家族が経営に大きなパワーを発揮してコントロールしているのではないことに気づかされる。創業者自身が表立って経営にコミットするのではなく、むしろ他者の力をうまく引き出しながら、長期視点にたって経営しているのである。

パナソニックの創業者である松下幸之助氏は、インタビューの中で、自分は体が病弱であり、また高等教育も受けていないことから、他人の力を借りざるを得なかったこと、周りの人たちの方がずっと自分よりも偉いはずだから、その知恵を借りない手はないと考えたことを述懐している。いわば、大きな理念や方向性のみを「水道哲学」のような形で示し、あとは他者に委ねたのである。幸之助氏の言葉には多少の謙遜も含まれているだろうが、ここから窺えるメッセージは、創業者があまり細部のオペレーションに口出しするのは宜しくないということである。

「基本は理念と方向性のみを提示し、あとは信頼できる他者に委ねる」

簡単なことのようだが、こうした姿勢を徹底させるのは意外に難しい。この経営姿勢で、従業員や顧客から信頼を長期にわたって勝ち得ることこそが、創業者企業が成長し、時代を経ても長く存続できる鍵である。

上林教授のお話から、「家族(同族)経営という組織形態をとっているかどうか」が問題ではなく、「トップと部下が相互信頼を築いて、現場に仕事を任せるという経営姿勢」が企業を長く存続するために重要であることを理解しました。

小彌太も、後の三綱領となるような、経営方針や行動理念などのビジョンを社員に示すのが非常に上手な経営者でした。また、小彌太は性質が鷹揚で、細かいことには拘泥せず、他人と意見が異なって激しい議論になっても、翌日にはケロリとしているというようにおおらかな人柄だったが、自分で判断できないことは、現場に詳しい部下の意見を聞いたり、時には部下に判断を委ねたり、部下に仕事を任せるのが上手なトップでした。

また、「組織の三菱」と呼ばれるように、小彌太は社員に、個人プレーよりも、「組織人」として動くことを要求していました。

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