英国ウォーリック大学経営大学院ドクタープログラム修了後、2005年神戸大学大学院経営学研究科教授、経営学博士。
専攻は人的資源管理、経営組織。
「経営学」は学問の中では比較的歴史の浅い学問領域です。まだ発祥してから100年少ししか経っていません。 経営学と最も関係が深いといわれる隣接の「経済学」は、アダム・スミスの『国富論』以来300年以上の歴史と伝統をもっていますから、経営学はまだまだ新興の若い学問であるといえます。
そのように歴史の浅い経営学ですが、その100有余年の歴史の中で最も重要な人物を1人上げよと言われれば、私ならそれはF. W. Taylor(テイラー)であると答えます。 テイラーは、もともと実務家です(作業現場で技師をしていました)が、同時に経営学という学問の産みの親で、経営学の歴史はテイラーとともに始まったといわれています。
経営学説史上、テイラーが果たした役割は、「科学的管理」というマネジメント手法を編み出したことであるといわれています。
テイラーが現れるまでは、作業現場でのマネジメントは、経営者の経験や勘、コツといった極めて主観的な手法に委ねられていたのですが、そこに「科学的」なものの見方を導入し、マネジメントをより客観的・相対化しようとしたのがテイラーだったのです。
少し角度を変えていうなら、Aという対応をすれば、必ず(誰がやっても)Bという同じ結果が得られる(即ち、予測可能になる)ように、条件と結果の対応関係を明確化しようと、テイラーは試みたのです。
テイラーがまず取り組んだのは、作業員の作業効率を上げるために、体の効率的な動かし方について調査することでした。このための調査方法がユニークです。 テイラーは、作業現場でいちばん優秀な労働者を1人選びだし、その有能な労働者がどのように体を動かしているか、つぶさに観察しようとしました。 例えば、「手を動かして金槌で釘を打つ」という作業を考えてみましょう。釘をどのように持ち、金槌はどの辺りを握り、どの程度の力で、どこまで振り上げて下ろしているか、しかも1つ1つの動作に、最も有能な労働者が何秒かかっているか、ストップウォッチで実際に計測しようとしたのです。 釘を持つまでに何秒、金槌を振りかざすのに何秒、一回打ちつけるのに何秒で、それを何回繰り返せばよいか、という按配にです。
このように、テイラーは、一流作業員の一連の作業での動きを、1つ1つの個々の動作(要素作業)へと分解し、それぞれを緻密に計測することで、作業を最短の時間で無駄なく効率的に仕上げるにはどうすればよいかを探究しようとしたのでした。 テイラーによるこうした調査は、「時間-動作研究」(time-motion study)と呼ばれます。
こうしたテイラーの時間-動作研究は、100年以上も前に編み出された手法ですが、実は現代企業においても、人事管理上、極めて似通った考え方があることに気づかされるでしょう。 それは、「いちばん優秀な作業員を選び出して、その人の動きをつぶさに観察する」という点において、です。 実はこの時間-動作研究は、現代の人事管理上、評価ツールとして一部企業に導入されている「コンピテンシー評価」と通底する考え方です。 コンピテンシー評価は、皆さんご存じの通り、職場で最高の業績を上げている従業員の行動特性を分析し、その行動特性をきっちりとモデル化(客観化)して評価基準を作成して職場全体に拡げようとするものですから、その基本的発想法はテイラーの時間-動作研究と非常に似通っています。 異なる点は、科学的管理では現場作業員が対象で、作業時間が短いほどよいと考えられていたのに対し、コンピテンシー評価は主としてホワイトカラーにおける人事評価ツールであるということくらいです。
コンピテンシー評価という手法を編み出す際には、テイラーの科学的管理などまったく参照されていなかったはずですが、こうして両者を見比べてみると、その発想法の底には非常に共通する考え方が見られるのです。
これからの数回は、このように「古典から学ぶ」こと、名著を斜め読み(常識とは違った読み方をすること)について、例を挙げながら述べてみたいと思います。
前回は、テイラーの編み出した科学的管理法のうち、時間-動作研究の発想法が今日の「コンピテンシー評価」と類似しているところがあることを説明しました。 一流労働者を選び出し、その体の動かし方をつぶさに観察・測定するところが、コンピテンシーを用いた評価方法に酷似しているのです。 この時間-動作研究は、実は労働者が一日に成し遂げるべき作業量を決めるのにも使われました(この作業量のことを「課業」(タスク)と呼びます)。 現場で一番有能な一流労働者を基礎として決められた課業ですから、普通クラスの労働者には大変きつい筈です。しかし、テイラーはこれを全体の「標準」として定めるべきだと主張したのです。 現代の企業でも、(あるいは企業に限らず、何らかの事業を営んでいる組織体では)仕事をするにあたり「これが標準モデル」とか「スタンダード」とかいう基準が必ずあるはずですが、その原形はテイラーが考えだしたということです。
そして、この標準として定めた課業を達成できた労働者と、達成できなかった労働者とで賃率を変えるべきだ、と主張したのです。(「賃金」ではなく「賃率」であるところがミソです。)課業が達成できなかった労働者は低い賃率を(つまり、頑張っても僅かずつしか賃金が上がっていかない)、課業が達成できた労働者には高い賃率を(つまり、少し頑張れば大きく賃金が上がっていく)それぞれ適用すべきだという主張です。この賃金制度は、賃率に差違を設ける出来高給なので「差率出来高賃金」と呼ばれます。例えば、課業を製品10個生産することとすれば、10個に至るまでは緩慢な賃金の上昇の仕方ですが、10個を超えると、急に賃金が上がっていくというメカニズムです。こういう仕組み(インセンティブ賃金と呼びます)が導入されていると、どんな怠け者の労働者でも、頑張って最低10個生産するところまでは到 達しようと考えるはずだ―テイラーはこう考えたわけです。
もう1つ、テイラーの科学的管理法を説明するうえで欠かせないのが「分業の原理」です。テイラーによると、あらゆる作業は分業をして、同一作業を継続的に行うことで作業効率が上がっていくとされます。
作業員が同一作業にずっと継続的に就いていると、彼ら彼女らのスキルは徐々に上がっていき、短い時間で作業をこなすことが出来るようになります。いわゆる経験効果と呼ばれる現象です。
テイラーは、職場での作業は、職場でともに働く人たちの間で分担され、各自が1つの単純な作業のみに集中できるようにすべきだと主張したのです。
職場で働いている人たちの間で作業を分担するのは今日では当たり前ですが、その原型はテイラーが編み出したということです。しかし、さらに興味深いのは、「分業」は何も多くの(複数の)人たちの間でだけではなく、単独の1人だけでも可能、という点です。
例えば、ごく簡単な例として、年賀状を手書きで30枚書き上げる、という作業を考えてみて下さい。1枚ずつ、心を込めて宛先の住所と名前、裏面のメッセージを書く人ももちろん居ます。
しかし、より少ないエネルギーで効率的に30枚書き上げようとすると、おそらく、先に30枚全ての表の住所・宛名欄を書き上げてしまい、その後、裏面のメッセージを30枚続けて書こう、ということになる筈です。
あるいは、30枚全てをそのように書くのではないにしても、ある程度まとまった単位数(例えば10枚)ずつ表面を連続して書き、続いて裏面を連続して書き・・・といった手筈になることでしょう。
このようにまとめて作業をするのは、1枚ずつ表→裏と代えてその都度違ったスキルを分散して使うより、いわゆる「段取り替え」にかかる手間や時間を省略した方が、集中的に作業に取り組むことが出来るということを、私たちが無意識的に知っているからなのです。 このように分業は1人でも可能なので、皆さんも効率的に作業をこなさないといけない際には段取り替えにかかる手間暇を極力減らすよう、工夫されることをお勧めします。
テイラーの続きです。分業が有効であると主張したことについては既に触れましたが、彼は、分業について、研究開発、生産、販売といったプロセス(横レベル)においてだけではなく、組織の上下(縦レベル)においても行われるべきだと主張しました。
テイラーによると、作業現場で働く人たちは、一切頭で考えることなく体を動かして作業だけに専念できるようにすべきであり、そのために組織は「計画部」という部署を作り、その計画部に一切の管理的業務を任せるべきだと主張したのです。
計画部では、すべての作業員の作業に対して時間研究により課業を決定すること生産上の計画立案のすべてを担当すること、作業には何が必要であるか分析し、現場では何が不足しているかの情報を常時把握すること、などの機能を果たさなければいけない、とテイラーは指摘しています。
計画部は、現代企業でいうと戦略企画室に相当するような部署です。
このように計画部という部署の設置によって、現場の労働者から計画的・頭脳的な仕事のすべてを取り除いていって、それらを計画部に集中すべきだとテイラーは主張しました。いわば頭を使う人(=命令する人)と体を使う人(=命令に従って作業する人)とを明確に区分し、
その人たちの間でもきっちり役割分担をしないといけない、と主張したのです。
この点は、労働者から一切の「考える」作業を奪う考え方であり、後年になって大きく批判された点でもあります。
前回触れたように、テイラーの基本的発想法は、作業員の職務の特化を最大限に推し進め、一切の余分な要素を排斥して必要な課業のみに専念させることでした。
テイラーは、この「職務はできる限り特化されるべき」という考え方をマネジメントに対しても適用しようとしました。職能的職長制度と呼ばれる仕組みがそれにあたります。
テイラーによると、典型的な工場職長の仕事は、多数のさまざまな機能の複合で、それらは例えばコスト係、準備係、検査係、修理係、手順係、訓練係などの職能に分けることができるといいます。 そして、かつて導入されていた親方システムのような、1人で大勢の部下の活動全てに関して指導監督する万能型の職長に代えて、これら各職能に応じ専門分化された職長を設けるべきだと主張したのです。
こうすると、作業員はひとりの職長の指揮下のみにあるのではなく、各職能の担当職長からそれぞれ指示を受けることになります。 テイラー自身は、この方式の採用によって、マネジメントの能率も大きく改善できると考えたのです。いわば、1人の担任教師が全ての科目を教えている学校のような教育システム(例えば小学校)と比べ、 異なる科目ごとに専門の教師が教える学校(例えば中学・高校)の教育システムの方が効果は上がると考えたわけです。実際、テイラーは職能的職長制度を採用すれば、中学・高校のシステムと同様に能率を上げることができると述べています。
ただ、この職能的職長制度は、いわゆる命令一元性の原則に反しています。それぞれ職能領域は異なるとはいえ、複数の職長から指示を受けなければならない作業員は、不統一で矛盾した指示を与えられた場合には、どちらの職長の支持を優先すべきか困ってしまうでしょう。
この結果、職場全体が混乱に陥ってしまう危惧もあります。実際、こうした混乱が発生しないように、指揮命令系統の統一は、洋の東西を問わず、企業における最重要な組織原則と考えられており、ほとんどの現代企業では職能的職長制度のような仕組みは採用されていません。
しかし、テイラーがマネジャーの仕事まで専門特化すべきと考えていたことは注目に値します。次回はこの背後にある、テイラーの基本哲学について触れることにしましょう。
これまで3回にわたり、経営学の祖であるテイラーの科学的管理法について、そのいくつかの仕組みについて説明してきました。課業管理、時間動作研究、作業指図票、命令する人と従う人の分離、職能的職長制度などの仕組みについてです。
これらの仕組みは、闇雲にバラバラに考案された制度ではありません。実は、これら科学的管理法の基底には共通した1つの考え方、貫徹された発想法が潜んでいます。
それは、西洋の科学観ともいうべき、ものの見方の特徴です。では、それはどういった特徴なのでしょうか。
課業管理の仕組みの基礎は、分業の原理でした。ボンヤリとした大きな仕事のかたまりを、要素ごとに分割すること―これが分業の原理です。ここには、全体を部分に「分ける」という考え方があります。
時間動作研究は、有能な1人の労働者の体の動きを、ストップウォッチで1つ1つの動作をするのに何秒かかるかを測定して、体の最適な動かし方を追求することでした。
ここにも一連の動作を1つ1つの細切れの動作に「分ける」という発想法が潜んでいることが窺えます。そして、時間動作研究で明らかになった最適な動かし方を「標準」として定め、課業管理に活用するのです。
標準を達成できた作業員を、標準にまで至らなかった作業員から分離し、両者の間で違った賃率を適用すべきだとする差率出来高賃金の考え方にも、「よく出来た人と出来ない人とを分ける」という考え方がみられます。よく出来た人には高賃率を、出来の悪い人には低賃率を適用するのです。
職場で仕事をする際に、命令する人(マネジャー)と、その命令に従う人(作業員)に徹底して分割し、作業員は決して自分で物事を考えてはならない(いわれた通りだけに作業をしていれば良い)というのが、
いわゆる「構想と執行の分離」の考え方です。ここにも「分ける」という発想が顕著に見られます。
万能型マネジャーではなく、職能ごとに「分けた」マネジャーを設けるという職能的職長制度の基本哲学も、職長の役割を分けて、1つの役割に専念させることでした。
こうして、課業管理や時間動作研究、作業指図票、構想と実行の分離、職能的職長制度などの仕組みに共通してみられる基本原理は何か考えてみると、
これらの根底には、一緒にいろいろな要素が雑然と混じり合っている事象を、何らかの基準のもとに「分けること」が有効であるとする発想法が見受けられることに気づくはずです。
人間の動作を極限まで分けるのが時間動作研究ですし、また課業を達成できた人とできなかった人を分けて扱うのが差率出来高賃金制度でした。構想と執行の分離もまさに「考える人」と「体を動かす人」を分けようとする発想です。
いずれにしても、全体を部分や要素に分割することこそテイラー流の科学的発想法の基礎をなしていることが窺えます。
実は、こうした「分ける」という基本哲学をもとにして、西洋の社会システムの様々なところが設計されています。極言すると、部分最適の寄せ集めが全体最適となる、という考え方です。このような考え方は、一見ロジカルで、正しいように見えます。
しかし、日本をはじめ、東洋諸国には必ずしも「分けること」のみを良しとしない哲学がある点に留意しなければなりません。東洋諸国では、分けた各部分の部分最適の統合を介した全体最適化よりも、むしろ全体を感覚的に掴んで理解しようとする志向があります。
ですから、例えば、一般に日本企業では分業の体制が緩く、"遊び"が多いのです。
こうして、洋の東西で、そもそも物事を組み立てる発想法や原理そのものが異なっていることに気づくと、海外旅行に出かける際にもいろいろと発見があって楽しいものです。
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