ちらほら桜がほころぶ頃になった。桜は咲初めから散り際まで美しい。
特に瑞々しいままの花びらが吹雪のように風に舞う様は、潔さを尊ぶ日本の美学として古くから愛されてきた。
今年は人を近づけないロープが張られているが、桜は黙っていつも通り美しく咲きそろう。
◆見る前に跳ぶ
新聞の人生相談欄には、さまざまな悩みが載っている。
どんなに親身になっても、他人の痛みは他人には分らない。
本人が自分で解決する方向に背を押す役割が相談員なのだろうが、難しい仕事だと思う。
最近50代の「ぼんやりした不安」と「今更変えられない」という相談が相次いで載っていた。
50歳といえば論語では『知命』の歳、「天から与えられた使命を自覚する」という意味だ。
しかし現代では、長い残りの人生の準備をする時。次の目標に向かって迷いなく果敢に進む人もいるだろうが、
ある程度の職責を果たし分別が身について、変わることへの不安や達成目標の喪失などに襲われる人もいるのではないか。
冒険を止めて安全第一になる人が居ても不思議はない。
私は見る前に跳ぶ質だった。
それゆえの不運だったのか幸運だったのかは分らないが、何かあればベッドで丸まるより、外に出て無闇に歩いた。
または案じているより、別の勉強に没頭した。気持ちが悩みに縛られることがいやだった。
若い頃から、じっとうずくまっていると、少しずつ死んでいくような気がした。
人間が一度は死ぬとしたら、毎日少しずつ死ぬのはいやだった。
◆無謀なリクルート
深刻な理由は何もなかったが、私は70歳で求職活動をした。
私には、仕事と勉強と遊びが必要で、どれが欠けても私の暮らしではない気がした。
他人に言われる時以外に自分の年齢を思い出すことは無かった。が、世の中は年齢で括って人を見がちなので、当然、私の求職は無謀な挑戦だった。
しかし、長いフリーランス生活で、私にはいつも「ダメ元」の覚悟ができていた。面白そうなことはやってみる。
跳ばすに諦めたりしない。ダメでもへこたれずに、知らないことでも、新しいことでも、またやってみる。
「常識」・「平均」とか「条件」・「相応」とかは二の次だった。と思っていたら、思いがけずに採用されてしまった。
(ありがとうございます。自社の勇気に感謝しています)
好きな仕事ができれば、私は何でも自分の栄養にする。世界は広い。
80歳の青年もいれば、20歳の老人もいる。まだまだ青い50代で自分を決めつけない方がいいに決まっている。
◆上には上の励み
と思って毎日を過ごしていたら、世の中には素敵な人がいることを知った。
エクセルを駆使する世界最高齢の現役総務部員として、大阪の90歳の女性がギネス記録に載った。
99歳で車椅子生活になっても、世界最高年齢の現役化粧品訪問販売員としてギネスに載った女性もいる。
すごいなあ。私なんて、まだまだ真っ青だ。
そんな話をしていると、上司が「自分の仕事をし続けるのはいいことだけれど、ほかの人にもできることをし続けると、その分若い人の仕事を奪うことにつながることもある。
高齢になっても新しいことを見つける、っていう発想があってもいいよね」と言った。
(そうかぁ、そういう見方もできますね。新しいことを見つけることが得意な高齢者もいるものね。
でも高齢者の多くは好きな仕事だから続けられるんじゃないかな......少なくとも私は)
◆高齢者の新しい発想
そういえば、今から43年前に、退職後のおじいさん達ばかりでチーズケーキ専門店を立ち上げて、今は名店になった所がある。 徳島県では、料理の飾り物(紅葉、ゆずりは、梅の小枝など)生産で起業したおばあさん達がいる。などを思い出した。
細かなストレスから少しずつ解放される高齢者は、逆に自由で新しい発想ができる人達かもしれない。
つまりは、若くても老いていても、それぞれの発想、各々の可能性があるということかな。
いくつになっても、自分の限界を決めつけないことこそが、大事なのだと思える。
もしかしたら「もう年だもの」と決めつけているのは、世の中よりも、高齢者自身なのかも知れない。
2021年 4月 14日 (水) 銀子