そこここで、「もう幾つ寝るとお正月」のメロディを耳にすると年も迫ってきたと感じる。
日頃、和洋折衷に忙しい日本人も、年末年始には日本ならではの、または土地ならではの文化を踏襲することが多い。
洋風の歳時を楽しんでいた人も、故郷の雑煮には格別な思い出があることだろう。
懐かしい「うちの味」を楽しみにする人々の帰省が順調でありますように。
◆越年の思い出
東京生まれ東京育ちの私にも、懐かしい味がある。幼い頃、年末になると家中に流れていた出汁の匂いも忘れられない。
そのころは叔父や叔母も同居していたので、大量の料理を作るために台所は大忙しだった。
私もエプロンを着けて、鍋がフツフツしたら知らせる係、昆布をハサミで切る係などをさせてもらったが、大方は味見や見ている係だった。
少し経つと煮る前の昆布巻きをかんぴょうで結ぶ係、松風にケシの実を振る係などに昇格した。
黒豆・昆布巻き・田づくり・きんとん・数の子など、多くは家内安全・健康長寿・子孫繁栄に因むおせちの由来を聞くのも楽しかった。
叔父や叔母が独立するころには祖母も老い始め、総出で料理を作ることもなくなった。 少人数分を手作りして、追加のおせちの買い出しは母と私の役になり「〇〇屋の××、△△の□□...」などのメモに沿って、混雑の名店街を歩き回った。 うちは焼き餅に澄まし汁を注ぐ江戸雑煮だが、それだけでは飽きるからと、祖母は煮雑煮も準備した。おせちを作るのは楽しかったが、何日も同じものを食べるのは少々苦痛だった。
今となっては、これも時の移ろいを感じるいい思い出のひとつだ。家族がいなくなって、今は好きなおせちだけを作り、買い足して、三が日で終わる形だけの正月の祝い膳にしている。 うちは親戚が申し合わせて、子供たちへのお年玉やお祝い事などは現金ではなく物だった。大人びたレースのハンカチや、オルゴール、美しいブローチや素敵な日記帳など嬉しかった。 しかしこれは良くない習慣だったと思う。おかげで後に物価に疎くて、少々苦労した。
◆新しい文化
今どきの子供は特化した才能で、中学生で起業したり、小学生で地方行政や企業・大学の研究機関の臨時スタッフになったり、社会進出が早い。 そうでない子供も経済や社会に意見をもっていて、素敵なことだと思う。 長い間、大人たちが守り続けてきた家庭の文化が薄れていくのは残念だが、環境変化とともに新しい文化が生まれてくると思えて嬉しい。
私は長い間、フリーランスで仕事をしていた。フリーというと聞こえはいいが、人が遊ぶ時には遊べないということでもある。 発注者の多くは休暇前にするべき手配を済ませて、休暇明けに納品してほしいと考える。つまり私の正月休みはなくなる。 (代わりに、何でもない日に休めるのだが。フリーにとって長い休暇は不安でもあるのだ)
そんな生活になってから、私は年賀状を廃止した。今は暦通りに休めるが、そのままにしている。 いまだに年末になると、年賀状に苦しんでいる友人がいて、その枚数は年々増えているらしい。私には、とてもできない。が、密かに彼女を尊敬している。 なぜなら私は近年、(歳をとったせいか)懐かしい人から年賀状をもらうと、なんだか非常に嬉しいから。人を喜ばせる彼女の労苦に頭が下がる。 IT時代、年賀状は人脈を広げる必要のある現役世代よりも、退役した人々にとっての方が、本来の意義があるのかも知れない。
俳人、高浜虚子が76歳で詠んだ『去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの』という句がある。
年は変わり、世の中の状況は変わっても、自分の中には変わらず貫き通す信念・信条がある、という意味らしい。はたして自分はどうだろう。
貫き通していることはあるか?それは良きことにつながる成長か?と自問せずにはいられない。
私には命を賭すような信念などないが、小人を自覚している分、閑居せずに日々自分を耕し続けたいと思っている。
歳をとると無欲になるというのは嘘で、まだ少しでも成長したいと願っている。はたして去年今年を貫く成長があるのか、心もとないのだが...。
どちら様にも穏やかで良い越年でありますように。
2021年12月22日 (水) 銀子