銀子の一筆

過ぎたるは猶及ばざるが如し

3月桃の節句も過ぎ、暖かな風が吹けば地虫も穴から這い出て、野に山に芽吹きも急な春本番となる。 住み慣れた場所を離れて出発する人も、新たな後進を迎え入れる側も、ともに気分一新、期待が高まる頃だ。

私は読み書きの仕事を50年以上続けている。広告コピー、PR誌や会報などを経て、雑誌、単行本、専門書などの出版物に幅広く関わった。 執筆が本業だったが、行きがかり上、編集や校正もやってきた。私は決して優秀な編集者ではなく、緻密な校正者でもなかったが、印刷物に関わるときの懐疑的な姿勢だけは身についた。

疑う、確認する、誤解の可能性を想定する。

昔から何にでも興味はあるが、何にでも飛びつくように信奉・熱中できなかった。 裏から、斜めから見て「おかしい」ところを見つけていた。粗さがしではなく、未知の部分を知ることが面白かったし、なるべく正しく知りたかったから。
見知らぬ情報、世間の定説、ネットの情報なども鵜呑みにしないで、「本当か?」と用心する習慣をつけた。 大事なのは、自分も他人も信用し過ぎないことだ。

40数年前か、某大手新聞社の出版部から校正の仕事を受けた。 文化人といわれる人の文章だったが、著者の女性に対する言葉遣いに違和感があった。
当時は今のように文章表記上の差別表現が厳しく制限されていなかったが、あまりにひどい差別感。 それを感じ取って調子に乗ったつもりはなかったが、偏らない表現にリライトした。
するとすぐに編集長から呼ばれ、「過剰校正」として厳重注意された。
「気持ちはわかるが、君の意見を発表する場ではない。どんなに偏った意見でも、著者のページは著者のもの。法に触れない限りは著者稿が最優先する。 言葉の選び方も著者の権利。人の文章に手を入れて悪くするのも、良くするのも同罪」 と言われた。

校正者の立場で人のページに乗り込んで、自分を反映させて良い筈がない。 不遜なことだ。それ以降、他人の文章を校正するときは、当たり前ながら必要最小限の文字・文法の直しのみ。 たとえ好きではないニュアンスの言い回しや崩れた言葉遣いでも、著者の意図以上の変化が起きないようにするのが、校正者の礼儀だと思うようになった。
といっても人間のすることは、不備不整が多い。 校正者として、気を引き締めていないと自説が入り込み、少しメガネが曇ると著者の勢いに呑まれて誤りを見落とす。 過不足のない最適なところを押さえるのは意外に難しい。

反省すべきは、校正という編集業務だけのことではない。何をするにせよ、世の中には「丁度いいポイント」というものがあるのだろう。
ちょっとした失敗が起きるとき、「丁度いいポイント」から今一つ不足してしまうタイプと、今一つ度を越してしまうタイプがいるように思う。

私は多分後者だ。
最後の余分なひと匙で料理の味のバランスを崩したり、ダメ押しのひと刷毛でペンキの塗装面を凸凹にしたり、 確認のつもりで接着面をはがしてしまったり、モノをしまい込み過ぎて肝心な時に使えないことが多い。

子どもから高齢者、誰にでもある日常生活で頻繁に起きる勘違いや思い込み、固有の思考の癖、人とのすれ違いなど、その「丁度いいポイント」がずれることで問題が起きるのかもしれない。

何事につけ自分の質を認識して、なるべく「過ぎないよう」にはしているのだが。 固くなって自粛すれば目的に届かず、浮かれて油断すれば本性通りに過ぎてしまう。 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」歳はとっても、孔子の中庸には遠く及ばないのだ。

2020年 3月 11日 (水) 銀子

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