開け放した窓から入る5月の風が心地よい。
でも5月は、晴れて汗ばむ日もあれば、降って肌寒い日もある、意外に不安定な季節だ。
夢と緊張に満ちた4月を過ぎて、疲れが出る頃でもある。
良い時も悪い時もある。いつも素直に初めての「今日」を受け入れよう。
45年以上前のことだが、俳句の結社に所属していた。
有季定型の「写生」を旨とする、正岡子規、高浜虚子などの流れをくむ結社だった。
各々の句会を主宰する客員も多いベテランの会員の間で、最年少の私は末席を汚していた。
大した句も詠めなかったが、若さが物珍しかったのか、先生方には可愛がられ多くのことを教えてもらった。
定例のほか、句を詠むために名所などに出かける吟行、俳句旅行、客員や会員の招待など、多くの句会に参加した。
句会では一座の投句をランダムに分けて互選する。
自分が選んだ句のなかで最も良いと思うものに「天」と書き、披講者によって披講される。
歳時や記念など、時には「天」の作者に「天恵」として粗品を贈り合うこともある。
選句も勉強だった。
主宰からは、
「作句法を読み漁って変に技術的な知恵をつけるより、出来は良くても悪くても、日記代わりに毎日、たくさん作り続けること。人の作品をたくさん読むことです」と、アドバイスされた。
言われた通りに、熱心に勉強した。未熟ゆえに成長も早かったのだろうか、次第に私の句も時折は巻頭を飾り、選句も評価されることが増えていった。
そうなれば、さらに面白く、もっと勉強に熱中した。
ところが、しばらくすると句会に出席しても、なんだか少しも良い句に出会わなくなった。(みなさんスランプなのかなぁ、ちっとも魅力的な句がない)と思っていた。
するとある日、主宰が見透かしたように
「この頃、句がうまくいかないんじゃないかね」と言った。(えっ?)
「人の句が少しも良くない。良い出来がない。と感じるのは、自分の力が落ちているからです。
自分の体が病んでいれば、何を食べても旨くない、ということですな」と言って笑った。
(スランプなのは、感受性が鈍った私だったのかぁ)どうしたらいいのか戸惑って、
私はすっかりしょげ込んだ。しかし、だんだん肩の力が抜けていくのがわかった。
当時きっと私は「良い句を作りたい、正しく評価したい(そして、それができる)」と、力んで思い上っていたのだろう。天狗の鼻はへし折られた。
マンネリ化した昨日までのことは捨てて、今ある自分のままに、素直にゼロから学ぶことにした。
すると作句も選句も回復してきた。
このことは、主宰はじめ多くの先輩が鬼籍に入って結社の活動が縮小された後、仕事が忙しくなって俳句から足が遠のいても、長く私の教訓になった。
私にとっては、俳句に関してだけではなく、何事につけても言えることだった。
環境に文句を言う前に、自分の心身を健康に保つこと。
健康な耳目、フラットな神経でなければ、素直な気持ちでゼロになれない。
が、頭でわかっていても、実行は難しい。
仕事でも人間関係でも同じことだ。何かを続けていれば、経験や知識も増え自負も自信も育ってくる。自分を信じなければ何も動かない。
それでも、「邪魔になる昨日」や先入観をいったん取り除いて、ゼロから考えるように心がけてきた。
後に経済・経営のゼミに参加した時、ロジカルシンキングを学ぶ機会があり、「正解だったんだ。組織だけでなく、個人の回復のためにもゼロベース思考が有効なんだ」と納得できた。
不調な時には一生懸命で、自分が力んでいることに気が付かない。
過去に縛られ、未来が不安になる。肩に力が入っていれば自由な発想が奪われて、自分は実力以上に大きくないし小さくないことに気が付かない。
俳句の主宰が亡くなる前に、私の句の添削に添え書きしてくれた。
今でも戒めになっている。
「君のもつ時間は長い。老成を急ぐなかれ」
今、70歳を超して、私の持つ時間はそれほど長くはない。だが、私はまだ途上人。
老成を急がず、いつでもゼロになれる柔軟な自分でいよう。
2020年 5月 13日 (水) 銀子