幼いころ、実家の敷地内に隣家からビワの枝が伸びていた。
うちからはイチジクの枝が隣家に伸びていて、お互いに塀を越した分は自由にしましょう、ということになっていた。
私はビワのほうが好きなので得をした気分だったが、大きくて色の良いビワを選んだはずなのに、固くて酸っぱい時もあった。
平穏な日常にも同じ日はない。信号のたびに赤ばかり。回り道して寄ったら臨時休業。
間の悪い日、ついていない日、運がない日が誰にでもある。
しかし時には、貧弱で色の浅いビワが、思いのほか甘くておいしいこともある。
期待しなかった分、うれしい日があるのも御縁だろうか。
学生時代、暇を見つけてはザックを背負って一人旅に出た。
知らない土地を歩くだけで充分楽しかったが、山歩き、植物、古刹、街並み、祭りなど、
目的があればもっと楽しい。成り行き任せの時もあれば、綿密に計画することもあったが、どちらも別の楽しみがある。
新潟県佐渡島の大野亀にトビシマカンゾウの大群落がある。
トビシマカンゾウは、5月の下旬から6月初旬にかけて、鮮やかなオレンジ色の花が咲く。
大野亀の起伏に満ちた岬から、海辺の崖に雪崩れるように咲くらしい。
群青の日本海に向かって満開の花が咲き乱れるなんて、なんて素敵な光景だろう。
ぜひ見てみたいと予定を立てた。
花期が短いため、天候・時間・交通など周到に下調べした。はずだった。
梅雨入り間近の当日は雨催いだったが、雲が低い中で一層花の鮮やかさが際立つだろう、
と思いつつバスに乗った。
目的地に着くころには空に不穏な黒雲が広がり、
大粒の雨がバスの窓を打ち始めていた。予報になかった急変。
雨具はあるし、きっとすぐに治まるだろうと下車した。
当時はまだしっかりした遊歩道もしゃれた建物もなかったと思う。
平日ということもあって、バスから降りたのは私一人で辺りに人影はなかった。
しかも、こともあろうに肝心のトビシマカンゾウは一輪も咲いていない。
日本海からの風は強くなり、雨は横殴りに激しく飛んできた。
最悪の展開というべきだが、私は一面の葉が風に荒れて音を立て、
真黒な日本海に波頭が白く高く立つのに感動していた。
日本海の、自然の、怖さと巨大さに畏怖していた。
普段は明るく美しい景勝の、こんな日のこんな光景に出会えるなんて、
なんて素晴らしい偶然だ、と立ち去りがたかった。
町に帰り着く頃には、ただの穏やかな曇天に戻っていたが、
私の胸中は、得難い光景を見た喜びで波立っていた。
今でも思い出せば、胸に迫るドラマチックな時間だった。
それからはオンシーズンや名所名物に縛られず、気が向いた時が御縁のある時と思い、
気が向いたところへ出かけて行った。
旅をすれば色々なことがあるが、旅には限らない。
普段の暮らしでも様々なことがある。思惑通りに行かないことも多い。しかし、多々反省はあるけれど、あまり後悔しない。
災難だと思ったことが、幸運な結果になることがあるし、その逆にチャンスがピンチに変わることもある。
何事もなければ、それでよし。
しかし、どんな日にも、おもしろい瞬間、うれしい瞬間はあるものだ。
結局は自分のメンタルを日頃から鍛えて、うろたえずに現実を受け止めること。
いい時も悪い時も柔軟に冷静に対応できる力を蓄えておくことこそ、
自分のためのリスク管理だということだろうか。
とはいえ実力不足の私にとって、やっぱりトホホは嫌だなあ。
2020年 6月 10日 (水) 銀子