都会の空にも夏雲が高く涌き立つ頃。特設会場の舞台で活躍するヒーローをまねて、観客席の子どもたちが汗だくで、各々ヒーローになりきっているのを見かけたことがあった。
つい先日は、西瓜が大好きな子どもが「大きくなったら西瓜になりたい」と言っていた。素敵。好きなものになれたら素敵ね
子どもの頃に、私は何になりたかっただろうか。幼い時から文字が好きで、本から辞典、チラシや町の看板など手当り次第に何でも読んだ。
比較的早い時期から読み書きをする人になりたかった。
が、不思議なことに筆不精だし、小説家や詩人になりたいと思ったことはなかった。大人になってわかったが、人がなりたいものになるのは簡単ではない。
大学時代のクラスメイトで、不定期的に夢中になる趣味が変わる人がいた。
登山に夢中になると、山小屋で住み込みアルバイトをしながら楽しんでいた。自転車にハマるとフランスから一式を取り寄せて大事にしていた。
そのほか、スキー、テニス、ヨット、楽器、編み物、ボランティアなど、広範囲の道楽だった。その度に「プロになる」と言って、暇さえあればアルバイトをした。
道具やファッションなど形から入るタイプなので、せっせと費用を貯めては使い切っていた。
彼女は、堅い性格の両親から「熱しやすく冷めやすい。長続きしない」と責められていた。
が、私は彼女がいつも幸せそうにニコニコして、少しの迷いもなくケロリとしていることが悪いことだとは思えなかった。
多分、彼女はなりたいものがあったのではなく、その都度何かに夢中になっていることが好きだったのだろう。
もちろん、彼女自身も少しも悪びれていなかった。
ある時、あきれた両親は、彼女が好きなことをする条件として「書道を始めて、必ず続けるように」と厳しく命令した。 母親は自分の書道教室を継いでほしかったようで、彼女は悩んでいた。友人一同は何の力にもなれず、ただ話を聞いて傍にいるだけだった。 「継ぐ継がないは別問題として、字の勉強はこれからも役に立つことだから、やっておいてもいいんじゃない」などと励ました。 彼女は書道を嫌々始めた。一時は辛かったようだが、「好きなことをする自由」のための両親との約束だった。
ところが、どうだろう。
両親が亡くなったあと母親の教室を継いで「無理やりさせられたことだけど、母には感謝している。おかげで今は書道教室経営者よ」などと言って陽気に一人暮らしを楽しんでいる。
相変わらず趣味は多彩で、先ごろまではカラオケだったが、今はドライブとバードウォッチング、ワインに夢中だ。
すぐにその気になって、鳥類学者になりたいとか、ソムリエはどうだろう、などとも言っている。
なりたい自分ではなかったかも知れないが、彼女は十分幸せで満足そうに見える。
天職などいうものは、やってみて初めてわかるもので、なりたいものが天職とは限らない。
それに天職だからといって、必ずしも一流の仕事ができて楽しいわけではないだろう。
私はといえば、いい時も悪い時もあったが何とか読み書きの仕事を続けてきた。
今も好きな仕事を続けていられる幸運に心から感謝の日々だ。
しかしだからといって、他にこの上の望みがないわけではない。
ある日、古い友人に何気なく言ったことがある。
「もしも人が生まれ変われるなら私は、もっと頭がよく生まれて、一生、辞典か事典の編纂をしたい」すると彼は、
「人間が人間に生まれ変わるなんて、地球も生物も物体もすべてが砂でできているとして、その一粒の可能性もない、と僕は思いますよ」と言った。
(えぇ~そうなの?)奥深そうな話の真意はわからないが、私は気を変えて「そうかぁ。だったら鳶(とび)になりたい。ピィ~ヒョロロロなんて歌いながら
海と山の間をゆったりと輪をかいて風にのって。海の物も山の物も何でも食べて。時々油揚げを頂戴したり、鷹(たか)を産んだりしてね」と言った。
彼はハハハと笑って「それもいいですね」と言った。
私は本気なのに。
2020年 7月 22日 (水) 銀子