海の物・山の物、秋の産物が店頭にあふれると豊かな気分になって嬉しい。 手間暇かけて育てたもの、身体を張って手にいれたもの、私たちが手にする食料の陰に、多くの人の力があることに感謝。お陰様で食卓にも季節のものが彩を添える。贅沢な贈り物に感謝。
古今東西、人はお祭り好き、集まり好きだった。平坦な日常から離れて、非日常に浮かれることは、明日からの日常に対して活力を生み、仲間との結束も強めたのだろう。 つまり人は昔からパーティピープルだったのだ。今では何かといえば記念日を定めイベントを開いて、経済効果を期待するセールスプロモーションにも活用されている。
何年か前、友人とお茶を飲んでいると隣の席の会話が耳に入った。前後の話は分からないが、男性が女性に向かって、「その歳になってもまだ誕生日がめでたいのか」と言った。女性は黙り込んだ。
(あ~、なんて悲しい貧しいことを言うのか)
喧嘩中だったのかも知れないが、嫌な場面だった。
いくつになっても誕生日は個人の記念日だ。
うちでは、昔から家族の誰かのお誕生日を祝っていた。
といっても、パーティを催すような大袈裟なことではなく、好物を食卓に載せて、ささやかな贈り物をする程度で、多くの日本の家庭と同じようなことだ。
何歳だったか覚えていないのだが、幼い時から当たり前だったことに違う意味があることを知った。それまで気づかなかったことに気が付いただけなのだが。
母は自分の誕生日なのに祖母の好物を作り(もちろん自分の好物も私の好物も作っていたが)、祖母に刺繍をした手作りのポーチ風の袋をあげた。
祖母は普通に「はい、ありがとう。おめでとう」といって何かを母にあげていた。「どうして?今日はお祖母ちゃまの日じゃないでしょ」と言うと、母は話してくれた。
「お誕生日は、その人にとっては『今日までよく頑張りました。おめでとう。また次の一年もがんばりましょうね』という意味があって、おめでたいことだと思うけれど。
でも、ちゃんと考えると、私が今元気で笑って過ごせるのは、生まれてから今日まで、一日も休まずに育て続けてくれて味方してくれた親のおかげだと思うのよ。
だから私は、お誕生日のお祝いは、本人には『おめでとう』だけど、本当は親に『ありがとう』の日だと思うの」と言った。
そういえば祖母は「色が白い」「料理が上手」「手先が器用」「元気ね」とか身内から少しでもほめられると、口癖のように「いえいえ、親様のおかげ」と言っていた。
「あなたは真似しなくていいのよ。私が自分でそう思っているだけだから」と母は続けた。
(う~む。なるほど、そうかもね)あんまり深く考えもせずに聞き流していた。
そんな話をしたことは、とうの昔に忘れて、大学に入ると私も立派なパーティピープルになっていた。
家族との誕生日よりも、仲間との集まりが優先するようになっていった。そしてその後は仕事が最優先する毎日が始まった。
支えてくれる家族に感謝はしたものの、多くの若者がそうであるように、私は自分のことばかり考えていた。自分一人で生きているように思っていた。
家族は好きだったが、自分とは別人格。自分のことは自分で決め、誰にも頼らずに仕事をして、良いことも悪いことも自分で片づけたように思ってきた。
私の生き方、暮らし方。好き嫌い、許せること許せないこと。私の価値観が私だけのものではないことを理解したのは、ずっと後になってからだった。
祖母が亡くなり、母が亡くなり、今は私の誕生日を祝ってくれるのは、数人の友人だけになった。
今では母が言ったことがよくわかる。多少の不調はあっても、何とか元気に笑って過ごせるのは、「親様のお蔭」。
自分の誕生日には必ず、故人の祖父母や両親に向かって「お陰様で、一年間ありがとうございました。次の一年も頑張ります」と挨拶している。
2020年 11月 11日 (水) 銀子