晴れても曇っても、連日テレビには渋谷のスクランブル交差点の人出の映像が流れる。
老いた歩調も幼い歩みもある。健康な人もそうでない人も、善人も悪人も、うれしい人も悲しい人も行き交っていると思うと、世の中が数えきれないドラマでできていることを実感する。
◆過客
シルクロードや宿場、港や空港。古くから、行き交う人が多い旅の要衝は、胸に沁みる多くの映画や小説の舞台に選ばれてきた。
かつて私は仕事で日本列島を何巡もしていた。友人からは「寅さんみたい(映画『男はつらいよ』の主人公の行商人)」といわれながら、10年以上も続いた毎月の取材旅行だったが、少しも飽きることはなかった。初めて降り立つ駅には、その町特有の匂いや音がしていて新鮮だった。もしも自分がこの町で働いているとしたら、あの山間に住んでいるとしたら、などと取り留めのない想像をしながら沢山の駅に降り立った。
花を挿した牛乳の空き瓶が置かれたペンキ塗りの改札口、待合室のストーブを囲んで話し込む人々など強く印象に残る風景もあったが、不思議なことに近代的に改装改築された駅は急に没個性になって、まったく思い出せなくなる。駅の記憶も塗り替えられてしまうのか。
◆昔の駅
今から約60年前、駅は今より重要な場所だった気がする。
駅の周辺には、郵便局や主立った商店が集まっていた。「ちょっと駅まで行ってくる」と家族が言うと、本を買いに行くのか、郵便物を出しに行くのか大体わかった。
それより以前、テレビが普及していない頃には、駅前の広場に立てられた柱にテレビが設置されていた記憶がある。相撲中継がある日には、わざわざ観戦のために出かけて来るのか、テレビの下に人が集まっていた。(一体、誰が柱の上のテレビを操作していたのだろう)
かつて駅といえば、大きな時計・伝言板・公衆電話・手荷物一時預かり所が付きものだった。今は携帯電話やコインロッカー、宅配便などが普及して、どれもなくなってしまったのだが。当時の待ち合わせの多くは駅だったので、大きくて遠くからも見やすい時計は便利だった。(今もあってよさそうなのに、あまり見かけなくなった)
個人情報にやかましい昨今では論外だろうが、伝言板はなかなか風情があった。
備え付けられた黒板には罫が引かれていて、誰でも備え付けの白墨で伝言が書けた。多くは待ち合わせ相手が時間になっても来ない時に「□□君、先に行ってる」とか「喫茶〇〇にいる」などと書かれていた。遅れてきた人は黒板拭きで自分宛の伝言を消して、次の場所に急ぐ仕組みだ。
ある時、通学の最寄り駅の伝言板前で友人と待ち合わせていた。読むともなしに見ていると、「返事を下さい。××」と書いてあった。珍しい名字をもつクラスメイトの××だった。もちろんクラスで会っても、何も言わなかった。誰に宛てたのか、その後どうなったのかも知らない。守秘義務なんかなくても、当時は伝言板に書かれていたことを他言するような無礼な人はいなかった(はずだ)。ただ伝言板の小さなドラマだった。
◆プラットフォーム
最近、プラットフォームという言葉をよく耳にする。(おもにITの共通基盤やプラットフォーム・ビジネスの話なのだが)何やら懐かしい響きで、昔のことや今のことを考えた。去る人もいれば来る人もいる(列車の)プラットフォームは、ちょうど社会のよう、もっと身近に例えれば組織のようだ。
組織内では、離れれば再び会うことのない人と、人生の一時期のかなりの時間を共に過ごす。ちょうど列車の旅のようだ。
1人では列車を動かせない。路線を敷いて列車があって、運転士も乗客も、労力や運賃を出して初めて列車は動く。
仕事という共通基盤があって、それぞれの役割があって、初めて同じ目的に向える。人間は、かなり前からそうして社会を作ってきた。であれば、IT技術は人間界の縮図に過ぎない、と思うと怖気が半減する。
2021年9月8日 (水) 銀子