指に触れる水が冷たくなって、急に肌寒くなってきた。季節の気温変化は人によって感じ方が変わるが、総じて町中が冬らしい衣服に替わる時期だ。
だが時々、半袖で闊歩する若者や子供を見かける。「元気で自由で素敵」と思うが、見ている方は一層寒さが増してしまう。
室内にいても気圧変化を敏感に感じ取って、体調に影響を受ける人がいる。
私は鈍感な質で雨の日は雨の日で結構楽しく暮らしているが、屋外で働く人々にとっては、天気・天候の変化はさらにご苦労の種だと案じる。
◆直接届く時間感覚
人の感覚については、最近面白い記事を読んだ。
誰にでも通じる同じ時刻、標準時で表記される「〇年〇月〇日〇時〇分」を「絶対時刻」という。これに対して、「開会まであと10分」「明日の定例会議で」などという表現、同じ目的を持って見る人には通じる特定の時間を「相対時間」という。
最近は見る人の目的次第で感覚が変わる「相対時間」というものが多く採用されている。
日の出、日の入りなど曖昧な時間感覚で暮らしていた日本人を、「時間に正確な日本人」に変えたのは鉄道だったが、今は列車の発着案内に「約3分後(に到着)」と相対時間が併記されている。また、PCのリマインドに「30分後・会議」とあれば、その間は別の作業に有効活用できるなど、見る人の感覚に直接届くようになった。
個人によって別のスケジュールをもちながら、一定の時間に合流する、など個人が自分の時間を自分で管理するようになると、今後ますます共通目的に関して直接届きやすい「相対時間」が活用されるだろう。
という話だ。
あ~なるほど、区役所や病院・飲食店・遊園地で「待ち時間20分」などというボードを見たことがある。忙しい人には、直感的にわかりやすく親切な時間の感覚表示だ。
いつの間にか、私自身もなじんでいた。
◆便利を少し疑う
相対時間は感覚には訴えるが、記憶には不鮮明に働く。
2~3日後には通じない表示、更新されることが前提の、通用する時間が過ぎれば不要になる使い捨ての情報だ。忙しい毎日を、行動に沿ってシンプルに過ごす知恵なのかもしれない。異論はない、それでいいと思う反面、一方で私は内心「それでいいのか?」とも思う。ちょうどスマホで自分に興味のあることだけ、関係のあることだけ知れば用が足りる、と割り切ることに似ている気がする。不要なことは知らなくていいと選んだ情報だけで、新聞もニュースも見ないと、面倒な世の中の動きと無関係に暮らすことができる。(確かに合理的)
しかしアナログ人間の私は、雑多で不要なこと、自分と関係ないことの中から、自分に響く情報に行きつくことも思考の一助になるのではないかと思ってしまう。
「世代の違い」といわれればそれまでだが、結構な年齢でも便利なスマホに日常の多くをゆだねている人が少なくない。スマホがなくなったら、きっとずいぶん困るのだろう。
◆無駄にならない時間
偶発的なことから、思いがけない発見や出会いを果たすこともある。
かつては書店でうろ覚えの書名を探すことがあった。ああでもない、こうでもないと探すうちに、目当ての書籍ではないがより有益な面白い本に出合って得した気分、やっと探す本を見つけだした「あった!」の獲得感など、道草の醍醐味を味わえた。同様に図書館でも、ついつい眼が移って時を過ごしてしまうことが多い。
今はネットですぐに解決することだけれど、ネットでは探知や直感、想像力は鍛えられない。辞書を引いていて、目当ての言葉の近くにある知らない言葉に惹かれるのも嬉しいことだ。
こうした時間は意図しない予定外の時間だが、寄り道、回り道のささやかな幸福を感じて、私にとっては無駄な時間だとは思えない。
仕事中に資料を調べていて、テーマとは少し離れているが面白い事例、反論や発展形などに数分間、熱中してしまうことがある。もちろん仕事はTime is moneyだから上司にはいえないが、私にとっては密かなgolden timeになる。
アッといけない。締め切り5分前だ。
2021年11月10日 (水) 銀子