気温の上昇と共に湿気もまつわるようになって、梅雨間近を思わせる。
テレワークの身には雨も一つの風情だが、さまざま我慢を強いられて出発した新入社員にとっては、またもやの気の晴れない日々かもしれない。
不順な天候も楽しみつつ、今は好きな季節の好きな陽光を想像して励もう。
◆読みにくい明日
科学技術が進歩して天気予報の精度は上がっているが、それにも増して天候の変化は激しくなっている。予報通りではないことも趣だが、その日になるまでは誰にも分からない。 比べて人間社会のことは予想がつきそうなものだが、これもまた分からない。もしくは分かっても、個人では対処できないことが増えている。 国際情勢・為替レート・パンデミック・異常気象など、すべてが連鎖して社会に「どうするか」の判断を求めている。
今朝のTVニュースショーで、ニューヨーク駐在特派員が現地の物価高騰を報じていた。
彼は日本から円安価格で給与を得るため、さらに苦しいとのことだった。
私の場合は、もともとキリギリスの生活を享受した当然の報いなのかも知れないが。
節約して地味に暮らしているつもりなのに、電気代・ガス代に驚き、物価に圧迫されている。
昨日までの普段は、贅沢になったのだろうか。
◆時代は必ず変わる
VUCAの時代といわれてだいぶ時がたつが、ますます先行きの見えない世の中になっていると感じる。しかし先行きが見えないことは、必ずしも悪いことばかりだとは言い切れないと私には思える。
定説や前例、既存の鉄則の範囲を超えて発想の自由度が広がることだともいえる。
社会では革新の必要性・改革の重要性が提唱されているが、少しの改善変更に止まらない抜本的な精神改造はこんな時代にこそ可能なのではないか。
整然と組み立てられた常識を離れてみることは簡単ではないけれど、今何が一番大事なのか本質を見直す時なのかも知れない。
思い込みの優越や自発的な諦めから脱出し、冷静な危機感をもって「変わるなら今だ」とリセットして、新しい時代を拓くチャンスなのかも知れない。
「明日も~~だろう」ではなく、「明日は~~かもしれない」時代なのだ。
2022年5月25日 (水) 銀子