暖かい日があるかと思うと、まだ寒中だったことを思い知る冷たい風が吹く。それでも一歩ずつ春は近づいているに違いない。同じように、平凡な日常で失敗や挫折に出会って自らの未熟に思い至る時もある。それでも一歩ずつ成長の春に向っているに違いない、と思おう。
テレビでお笑いコントを見た。人気作家が喫茶店で執筆していると、偶然隣の席に作家のファンが座った。速読術を会得しているファンは、作家が長い間構想を練った作品をものの数秒で何冊も読んで、しかも理解している.........という筋だ
1960年代、情報化時代といわれ始めた頃、速読術が流行った。速読術・速読法についてはさまざま研究されているが、速さと理解の相関関係は個人差が大きく、流行は次第に収まった。私は速読術を学んだことはないが、時々我流で速読する。例えば時間がない時には新聞の見出しをザっと見て大まかな5W1Hを拾い、気になる記事だけを読み直す。誰でもやっているだろう「ナナメ読み」だ。
◆不必要な情報
先頃、Z世代が映像を倍速で見ることが「それで分かるのか」とやや批判的な論調で話題になった。でもそれは誤解のようだ。
若者とモバイルの関係を調査研究している人の記事によると、「多くの若者は何でもかんでも倍速で見ているわけではない。情報コンテンツは倍速で見て、自分に必要な情報だけを拾うが、自分で選んだ物語コンテンツはしっかり見る」ということだ。これはZ世代以外の世代と同じだが。(本当に不必要な情報なのか、どうやって知るのだろう)
文化やサービスの有料化・格差社会の進展で多くの若者たちは豊かではなく、アルバイトや遊びで時間がない多忙な中では、倍速視聴でドラマや映画の大筋を知って友人と話を合わせる傾向があるらしい。(私には常時スマホを手にしていれば、自分一人の(思考)時間が阻害されるのではないかと思えるが) 忙しい若者はコスパ(コストパフォーマンス:費用対効果)と同じように、個人のタイパ(タイムパフォーマンス:時間対効果)を優先するからだという話だった。
経済の乱調・労働力の減少などから、社会全体・経営ビジネス全般から求められる効率的なタイムマネジメント(時間管理)の感覚が、知らない間に影響しているのかも知れない。
◆勝手な楽しみ
私は、映画の言葉のない場面も観るし、エンドロールまで観たい。話を合わせるために映画を観たり本を読むことはない。本なら難しい専門書は一語ずつ咀嚼して理解するように読む「全部読み」。好きな作家の作品は、読み終わるのが惜しくなるほど身を入れて「熟読」し、ハードボイルドな探偵小説ならアッという間に「熱読」する。
読書は人それぞれが自分勝手に我儘な方法で行う、ごくプライベートな楽しみなのだ。速読も楽しみ方の1つなのかも知れない。
◆必要な速度
しかし、時々ページを繰る手を休めて思うことがある。私は勝手に理解したつもりになっていないか。咀嚼せずに分かった気になっていないか。筆者の本意の速度を共有しているか。生身の人間に対するときも同じだ。傾聴・集中・理解と口で言うのは簡単だが、眼や耳から入る相手の情報を咀嚼して正しく理解するのは容易ではない。誠意を問われているかも知れない。雄弁な説明や素早い反応を目指すだけが良いわけではない。~だろう判断をして、かえって信頼を失う恐れもある。と、認めたうえで人に向かい合う努力が必要なのかも知れない。
昔、音楽家から聞いた話を思い出す。「楽譜の中には休符がありますが、音が出ていなくても休んでいるわけではなく、それも含めて音楽なんです」 タイパも効率も大事だが、時には休符になることも、次の成長に必要な速度だと知ろう。
2023年1月25日 (水) 銀子