窓を開け放ち、新鮮な朝の空気を室内に入れる。がコーヒーを飲み終える前に蒸し暑さも入り込んで、今日も気だるい一日が動き出す。窓の外では夏休みに入った子供たちの甲高い声が通り過ぎる。なんという元気! 彼らにとっては意欲に満ちた一日が始まるのだ。
幼い頃には、私も新しい一日の新しい物事を待ち遠しく思って目覚めたのだろうか。発見を楽しみ不具合を悲しんで、アッという間の一日を集中して過ごしていたのだろうか。
いつの間にか日々の生活に慣れて、長く忘れていた「夢中」に気づかされる。歳を経ても今日の自分に集中することを忘れてはいけないと自戒しよう。
■モチベーションの危機
多くの組織で恒常的に抱える課題の一つに「モチベーション」があるようだ。過日耳にした、組織で働く人々の話を思い出した。
一方的に不満をぶつける来客・家に持ち帰らなければ片付かないほどの仕事量・集中を妨げる別業務の多発などがストレスになって、モチベーションが上がらない。そんな話だった。多くの場合、身近な人または専門家への相談・チェックリストなど自分の工夫で対処しているようだが、心身の疲労が嵩めば集中も意欲も低下し目的意識も希薄になるのは自然なことだ。職務職責・人手不足・時間の制約・競争・待遇・キャリア・人間関係・健康の変調・個人的事情・制約や規則やルールなど、社会人は常に大小のストレスに囲まれている。モチベーション低下の原因の多くがストレスにあるとしたら、モチベーションは一体どうなるのだろう。
■ストレスの軽量化
かつて私は月刊誌の仕事をしていた。月刊誌の多くは、次々号の企画・調査・許認可などの準備・手配、次号の取材・画像の選択・原稿作成、当月号の校正校閲・色校・入稿、と1カ月に3号分の仕事が同時進行する。社会の状況変化・内外の不測の事態も多く、ストレスは非常に大きかった。それでも多くのスタッフは好きな仕事をしている充実感と、(収入や上長のためではなく)見えないが待っていてくれるだろう読者のために、緊張を緩めずに仕事をしていた。
そんな忙しい頃、私は時々料理や菓子作り、園芸や日曜大工を楽しんだ。ぐったり休むより、気分転換になってストレスが解消されリフレッシュできた。なるべく仕事には関係のないことが効果的だった。新聞記者だった従兄は、休日になるとカレー作りに熱中して、後にカレー店を開くほどになった。誰でもできる草むしりや徹底掃除も、夢中になった後の成果が眼に見えて格別気分がいい。時間がないと言われればそれまでだが、時間がなくても騙されたと思ってやってみて。私の資質が能天気だからかも知れないが、ストレスがスッとはがれて、明日に向かう元気が湧いてくる。
■湧き上がるモチベーション
夏の遊びとしては、海水浴・山歩き・キャンプも楽しかったが、私が熱中したのは勉強だった。特に夏休み時期は、各地で大学や団体の夏期公開講座がさまざまなテーマで開催される。専門機関・文学館や博物館・美術館やアートシアターなどのセミナーに参加して、日頃興味をもっているがなかなか特別に時間を割けないことについて、多方面の専門家の話を聞くことは向学心を駆り立てる刺激になった。今いるここだけが世界ではないことを痛感すると、もっと知らないことを知りたい意欲が湧いてきた。
雑事が山積する日常生活で、自分の意志だけでモチベーションを上げるのは簡単ではない。しかし広い世界の無限にある選択肢の中から、自分は縁あって今「ここ」を選んでいるんだと認識すると、即対処すべきこと・放っておく方がいいこと・時を待つこと・捨てること・今自分が集中すべきことなどが、自然に明らかになり整理がつくから不思議だ。本来のモチベーションはビジネスやミッションのための要件ではなく、自身の成長に欠かせない活性剤なのだろう。モチベーションは義務や根性で作り上げるものではなく、中から自然に湧き出なければ持続的な効力を成さないのかも知れない。
2023年7月19日 (水) 銀子