梅も桃も過ぎて、後に続く開花を促す陽光が降り注ぐ。まだ冷たい風の中、春の魚介を求めて海辺を訪ねたくなる。新社会人も被災地も新たな船出の準備は整っただろうか。凪がぬ海はない。厳しい波風があっても必ず豊かな成果につながる、と信じて漕ぎ出して行きたい。
誰でも最初は初めて、知らないことを恥じることはない。恥ずかしいのは何でも分かっている気になること。と昔教えられたが、実はそれが社会に出て初めて味わう挫折の落とし穴だ。
「社会に対する意識は高い・知的好奇心も旺盛・不足しているのは経験だけ」と思っている多くの若者が、社会のルールや組織のルーチンに適合しない「革新的でやる気に満ちた自分」の境遇に悩みやすい。自分を認めない組織が旧弊なのだと実力を活かす次の場所を求めて離職する人もいるし、収入を得るために自分を殺して盲従に徹することを選ぶ人もいる。どちらも賢明ではない決断、自分に資することにはならないように思える。まずは言われた通りにやってみることが大事なのだが、私もまた若気の至りで同様の気分になったことがあったように思う。おそらく今社会の現役ビジネスパーソンの多くも、(忘れているけれど)一度は既存の社会に対して同様に思ったことがあるだろう。これらを乗り越えて初めてスタートだといえる。
■初めての風土体験
こうした新人を迎える側はどうだろう。昔は上司や先輩の背中を見て時間をかけて覚えた仕事も、今は組織が積極的に指導育成に当たる。自分の業務のほかに新人の心理を気遣いながら、社会の基本や組織の原則を踏まえ業務を教えていくOJT担当者の負担は軽くない。
元気だが指示に従わず独自の考え方で進める・同じ間違いを繰り返す・内気でコミュニケーションがとりにくい・言葉が多く周囲とトラブルを起こしがち、などさまざまな新人がいて気苦労も少なくないと思われる。
しかし、担当者にとってOJTは業務のひとつ、対象も1人に限らないが、新人にとっては最初の指導者は一人、不安と期待を抱きながら頼りにする対象になる。いわば組織の風土を実務を通じて感じる最初の経験、担当者の責任は重いだろう。
■自分で成長しなさい
現場の業務指導といっても、新人にとって最初の指導者の影響は大きい。場合によっては後進の意欲を低下させる、向上させることもある良いOJTとは何だろう。
後進の指導に熱心なあまりに親身が過ぎて個人に踏み込み過ぎれば迷惑だし、あからさまに急いで取り付く島もない指導も孤立を招く。個人的な事情や都合のない人はいないが、担当者には更に自分の時間を費やさなくてはならないストレスもあることだろう。
「親しくコミュニケーションをとることも大事だが、注意や修正すべき点など言うべきことはきちんと具体的に伝える。淡々と、OnとOffを切り替えたい。いつでも質問しやすい空気を作るように心掛けるが、相手に期待し過ぎて感情過多にならないように気を付けている。最近は新人に、全体を見たうえで作業する方が仕事しやすいか、または部分部分を仕上げて積み上げていく方がやりやすいか、と個人の理解の仕方を聞くようにしている」と話してくれたのは、私の入社時OJTだった先輩だ。当時、知っていることは教えるが、あとは自分で考えて成長しなさい、と言われているような気がしていた。
■程よい距離感
業務の一環といっても、人間対人間。あまりに相性が悪ければ、新人のその後の生活の質が落ち、組織にとっての損失にもなりかねない。
私は組織の経験は初めてだし能力も不足しがちだし、あまり良い新人ではなかったと思う。振り返れば、ご苦労をお掛けしたことも多かっただろう。しかし私にとっては彼女がOJTであったことを幸運だと思い感謝している。彼女によって私は当社に繋がったのかも知れない。なにより素敵なのは、親しさも厳しさも程よい距離感を保ってくれて、仕事に感情を持ち込まなかったことかもしれない。格別に相性がいいというほどの関係ではないが、私にとっては信頼している先輩だ。程よい距離感が、ビジネスのあらゆる場面に通じるコミュニケーションの基本ではないかと学ばせてくれた。
時を経て厳しい訓えもだいぶ薄らいではいるが、今も時折「こういう書き方はよくない」といわれるだろうな、などと受けた注意やアドバイスを思い出している。
2024年3月18日 (月) 銀子