立秋を過ぎても街は息苦しい熱気に満ち、頭も体も重い湿気に塞がれる。それぞれ季節変化は楽しいが、秋の涼気こそ待たれる。もういくつ寝ると秋らしくなるのか。暑いといっては怠け、寒いといっては固まる。人体のリスク回避機能が働き着実に皮下脂肪が蓄積している。
過日、所要のために有休をとった。せっかくだから時間を有効に使おうと思って、細かな用事で埋めた。帽子を被って汗を流して暑い中走り回ったが、忘れもの・臨時の時間変更・予想以上の混雑・昼休業・住所不明などなどで、結局予定の半分ほどしか用は足せず、貴重な平日休はクタクタで終わった。暑さのせいか経年劣化か実力か。全て私の不手際・不注意、段取りの悪さ・予定の詰め込み過ぎが原因だが、せめて誰にも被害が及ばなくてよかった。
■どこにでもあるヒヤリハット
急ぐこと≠慌てること・慎重≠悠長・有効活用≠過密予定。頭では理解しているが、自分のこととなると、慣れと過信から気が緩むのは人間の常かも知れない。いや個人ばかりでなく、職場でもありがちなことだ。
・倉庫内が整理されていなくて、上から物が落ちてきた
・異物混入しそうになった
・社外秘の資料を社内で紛失しそうになった
・社内メールだと思いこみ、不審メールを開きそうになった
・業務用スマホを持ち忘れた
・共用の鍵が所在不明で探した
・施錠忘れ、電源の切り忘れ、水栓の閉め忘れ
・入退室の管理不備 など
こうした日常のヒヤリハットのほとんどが(幸運にも)大過にならないことが多いため、職場にも「大したことじゃない」「よくあること」「いづれ考えよう」といった空気が広がりやすい。でも残りの1%が「稀に」「驚いたことに」「不運にも」「選りに選って」大事に至ることがある。一度そうなると、人の心身の安全・平穏な業務の進行は危険にさらされ、収拾のつかない社会の低評価・組織の信用失墜を招くことになりかねない。世の中にとって「事情」は二の次、注視するのは(事件を起こしたかどうかの)「結果」なのだ。
■誰にでも潜む性悪
若い頃、私は人間は性善だと信じたかった。が、世の中を見るにつけ本当は性悪ではないかと思いだした。多くの人が同意するだろうが、情けないのは多くの人が自分を含めていないことだ。人間は誰でも基本を忘れ、確認を怠る。昨日と同じ反復や無駄かも知れない用心を面倒に思う。その上、簡単に「知らなかった」「大丈夫だと思った」などと言う。過信してはいけないのは、他人だけではなく自分かも知れない、と思い至らない。
編み物は編み始めから編み終わりまで、一本の糸で作る。どこかに小さなほころびが生じるとスルスルとほどけ広がり、しまいには体を失くしたただの糸になってしまう。最初の手当てを怠れば、何もかも最初からやり直すことになる。早期発見・早期修復が大事だ。
子どもの頃読んだ本に「低地の多いオランダでは堤防やダムの決壊は国土の命取りになる。ある村の堤防の小さな穴から海水が漏れているのを発見した少年ハンスは、自分の腕を押し込んで夜通し穴を塞ぎ、村を水害から守った」話があったことを思い出す。
「千丈の堤も蟻の一穴から崩れる」「蟻の一穴天下の破れ」のことわざもある。
ヒヤリハットで肝を冷やす前に、頭を冷やして身近な不備を油断せずに一つずつ改善しておこう、と自戒しよう。
2024年8月14日 (水) 銀子