近年の梅雨は、しとしと降る長雨ではなく、集中豪雨や大雨になることが多い。
地球温暖化の影響といわれる。昔は水害も干害も神頼みしかなかったが、
今は人間の暮らし方を変える環境保護頼みしかない。
が、年々異常気象は増し、地球が不可逆域へ一歩一歩近づいているようにさえ思える。
日本は昔から自然災害が多くて、被害が大きい被災地には「お互いさま」の精神で各地から有形無形の支援が届く。
今は個人がむやみに義援物資(支援物資)を被災地に送りつけることは、かえって混乱を招くとして、
しかるべき窓口を通すことが一般的な認識になっているが、
私が小学生だった頃には、個人レベルの義援物資が各地から届けられていた。
小学校5年か6年だったか、台風による大きな自然災害がおきた。
私たちの地域に被害はなかったが、「私たちに何ができるか考えてみましょう」という担任の
先生の呼びかけで、クラスで意見を出し合うことになった。
様々な意見が出た。
私は「使えなくなった鉛筆を送ったらいいと思います」と言ってみた。
うちの電話機の横にはメモ用紙と一緒にお菓子の空き箱が置いてあって、
使いかけで短くなった鉛筆がたくさん入っていた。
多くは半分以下の長さになっていたが、まだ十分使えるとして、母が入れたものだった。
「もう使えないノートやスケッチブックを切って、キレイなところをあげるといいと思います」と言った友達もいた。
クラスのみんなは同じような使い方をしていて心当たりがあったので、大きくうなずいて賛意を示した。
それを聞いていた先生は穏やかに静かに、悲し気な声で話した。
「あなたたちは、自分が使えないものを他人に差し上げるんですか?
まだ使えるなら、なぜ自分で最後まで使わないのですか? 被災して何も無いのだから、
どんな物でもありがたがるに違いない、と思っているのですか? 困難にある人を
見下して恥ずかしいと思いませんか?被災者は多くを失って困っている方々ですが、
他人の憐みをあてにしている人達ではありませんよ。災難に見舞われた方に、
恵むという気持ちは失礼です。自分が被災した立場になって考えてみてください」
みんなし~んとして何も言わなくなった。
確かにクラスは、他人に善行を行おうとして、ちょっと浮かれた雰囲気だったのだ。
私は自分の思いあがった浅薄さに恥じ入った。
私たちは、心づかいのない提案を引っ込めて考えなおした。
話し合いの結果、新品の文房具を送ろうということになった。
みんなで少しずつ新しいノートやスケッチブック、新しい鉛筆、消しゴムや定規、鉛筆削り器や
接着剤など、買い置きの文房具を持ち寄った。
広告の入った新しいタオルなども、一度洗ってもらってから持ってきた。
新しい鉛筆はすぐに使えるように教室の鉛筆削り器で削って、
先生が用意してくれた鉛筆用のキャップを1本1本かぶせて、芯が折れないようにしてまとめた。
集まった義援物資は大した量ではなかったが、別クラスの賛同も得て、大きな段ボール箱が幾つか送られた。
約60年も前の先生の言葉は私の胸に残って、長く忘れられなかった。
今でも思い出すと顔が熱くなるような恥ずかしい気持ちになる。
私はもちろん、人はだれでもつい、うっかり調子に乗って浅はかなことをしてしまう。
行儀の悪い失敗は数知れない。
しかしこの時の経験ばかりは忘れないし、忘れてはいけないと思っている。
単に物のやり取りの礼儀の問題ではなく、人に対する姿勢の問題、
自分の品性にかかわる問題なのだから。
2020年 6月 24日 (水) 銀子