年々、気温も雨量も激しくなって、次第に熱帯に近づいているようだ。 農水産物の北限も移動して、食卓も様変わりしつつある。 私たちが利便性と引き換えに温暖化を許容してきたことも要因であろうが、 少しずつでも気づいたところから改めたいと思う。
私の祖母はおもしろい人で、幼い頃いろいろと教えてくれた。
例えば、お墓参りは午前中に行くこと。墓地にはいろんなものがいて、日が暮れればもっと出てくる。
気を弱くしていると憑いてくるので、墓地周辺を通るときには、見えなくても心の中で
「退りおろう!お前とは縁無き者。いるべき処へ戻れ!」と言って通りなさいと教えてくれた(へ~ぇ。本当かな)。
それで私は大人になっても、墓地以外でも、例えば怖そうな犬とすれ違う時などには、
心の中で「負けないぞ。私にかまうな!退りおろう!」と念じている。
町で怪しげな人に出会うと、心の中で「寄るな!私は貧乏だぞ。退りおろう!」と念じている。
私に限っていえば、何とか今のところは有効なようだ。
祖母はよく「下衆の一寸上ピタリ、下々の下等は後も構わず(ゲスノイッスンジョウピタリ、ゲゲノゲトウハアトモカマワズ)」と口にしていた。 正しくはどういうのか知らないけれど、障子や襖の開け閉めのことで、行儀の悪い者は後ちょっと(1寸≒3cm)のところを閉めない、 いうまでもなくピタリと閉めるのが上等。話にならない無作法は後も構わずに開けっ放しにして行ってしまう、という意味だ。 もちろん、ドアでも引き出しでも同じように、だらしなければ叱られた。
天地の差に厳しく、畳のヘリや敷居に足をかければ叱られた。 古新聞になったらいいけれど、今日の新聞や本など文字を踏むのは以てのほか。 夏にはこうしろ、秋にはああしろ。十二月になったら、お正月には。 こんな時そんな時、などなど、いちいち、こまごま、やかましい。 声を荒げたことはなかったが、家人にはあれこれ指図した。 無礼や粗相をすると静かに「まあ、いやだ」と悲しげに叱られた。
そのくせ祖母はわがままで、自分の履物や小物を使われるのを嫌がった。
一緒にお茶を飲みに行くと、私の注文のパフェを見て「それが良さそうだから代えて」と交換を迫った(え~っ)。
それでも、普段はいつも笑顔で優しい祖母だったので、口答えはしても嫌いになったことはなかった。
穏やかに正しいことを言うので家族から文句が出ることもなかった。
昔は、早朝に「ア~サリ、シジミ」と呼び声をあげつつ新鮮な貝を売る行商や、
「と~ふい」と聞こえるラッパを吹いて豆腐屋さんが家々の間を通った。
昼になると金魚屋や風鈴屋も来た。ねだっても買ってもらえないときに聞いてみた。
「なぜ風鈴はだめなの?アサリやお豆腐は毎日のように買うのに」すると祖母は
「風鈴はもうあるでしょ。アサリやお豆腐のように単価が安くて日持ちしない物を
売っている人が来たら、ありがたいと思って必ず何か買うようにしなさい。
一軒の家でアサリ一合、豆腐一丁、油揚げ一枚が使えないことはないんだから」と言った。
「なるほど」と思って見ていると、祖母は出入りの御用聞きや商人職人に優しかった。
そうすれば、先方も珍しい物、質のいい物が入れば知らせてくれる。
正月用のお餅を頼む餅菓子屋さんからは、注文品とは別に毎年末の「気持ち」として豆大福が添えてあった。
祖母が亡くなった後、見知らぬ人が訪ねてきて「知らずにいて遅くなりました」と焼香することがしばらくの間続いた。
お盆には先祖が帰って来るという。
今の私はマンション暮らしだが、扉を開けて形だけの迎え火を焚き、いつも素麺を用意して迎える。
最近はほとんどが旧盆8月の行事だし、迎え火を焚く家も少なくなった。
それでも教え通りにしないと、大好きだった祖母が「まあ、いやだ」と言いそうな気がするのでやめられない。
2020年 8月 26日 (水) 銀子