勤め人の評価は、組織への貢献度や職能により昇進・昇格などに反映される。今年の昇進・昇格者は新しい職務に慣れた頃だろうか。
私は、長い間フリーランスで仕事をしてきた。個人事業主なので昇進も昇格もないが、良いことも悪いことも、すべて直接自分に返ってきた。骨折り損の日もあれば、一発逆転ホームランの日もあった。クライアントによっては一度仕事をして二度と連絡が無くなることもあれば、仕事をもらえるばかりか別のクライアントを紹介してくれることもあった。
日常的に起きるさまざまな吉事・凶事、クライアントにまつわる思い出は多くあるが、最も印象深いことがある。
50年近く前、ある代理店から、大手企業の製品カタログなどの仕事を受けた。外注も使うような、長いスパンの大きな仕事だった。まだ銀行振り込みが一般化していない時代のある日、200万円の集金に行った。大卒初任給約4万円の頃、小切手集金とはいえ待ちに待った日だった。
ドアを開けると、床に電話機が数台あるだけ。テレビドラマの一場面のように、ガランとしたもぬけの殻だった。
.........。呆然とフワフワした足どりで、坂道を下って帰ったことを思い出す。これから支払わなければならない外注費・制作関連費用・銀行の手当.........どうするんだ、どうしたらいいんだ。
ただ、それ以上に大きく胸を塞いだのは「真面目で誠実そうな社長が、なぜ?」という疑問だった。この会社には、業界の常識を教えてもらったり、人を紹介してもらったり、いろいろとお世話になっていた。
きっと不運が重なったんだ、他の方法がないほど追い詰められたんだ。と歩み寄って考えてみても、私が200万円を踏み倒されたことには違いなかった。その社長は当時流行った「ビニール袋に入った本」に関わって摘発されたらしいといううわさを聞いたが、最早どうでもよかった。
この一件ではほかにも被害者がいて、弁済を求める共同訴訟の会に誘われたが、私は加わらなかった。幸運なことに非常に忙しくなっていたので、そんな手間暇かけたあげく回収できないより、次の仕事に専念した方がいいと判断した。何より、一人で社会に出て頑張ったのに、軽々騙されたと思うと情けなくて早く忘れたかった。
それから1年以上経っただろうか。ある日、現金書留で20万円と「申し訳ありませんでした。今はこれが精一杯です」のメモが送られてきた。メモの几帳面な文字を見ていたら、なんだか胸が痛んだ。金額は損金の1/10ほどだったが、軽い金額ではないだろうにと思われた。そこには「これから少しずつ返します」といったことも書かれていたが、それから二度と送金は無かった。でも、もう十分だと感じた。元気に再起してほしいと思ったが、いつしか遠いうわさも聞かなくなった。
世の中に近道はないこと。一瞬の気の迷いで、積み上げた信用を失うことがあること。悪意がなくても、人を不幸にする場合があること。
すべて特別のことではなく誰の身にも起こり得ることだと、フリーランスになりたての私は多くを学んだ。今となっては、悪い事にも感謝すべき教訓があると思える。過去の教訓は栄養にして、私は無駄骨も恐れず誠実な仕事をしよう。
2019年 6月 12日 (水) 銀子