落ち葉が降り敷く頃、昔はよく公園や民家の庭で落葉焚きがされて、取り出されるホクホクの焼き芋が楽しかった。 今は、すっかり町は密集し、焚火はオキシダント発生源ともされて、あまり見かけなくなった。科学的に洗練された町の風景は無駄も害も低減され、道は道としての役割を果たす。 良いことではあるが、寒さが直接身に届く気がする。
大掃除に時間を割くより、日頃の小掃除が大事といわれる。その通りで、1年分の汚れを落とすには時間も労力も大きいが、1日2日の汚れを落とすのはわけもない。 と、わかっていても日々優先することがあれば、数日に一度になり、週に一度、月に一度、その内、近い内に、と間遠になっていくのが現実の暮らしだ。House keepingに専念できる人は数少ない。
◆油断大敵火が亡々
ほんの2~3年前まで、私は健康だが眼科と歯科には定期的に予防検診に通っていた。
だが、コロナ感染拡大を受けてステイホームが提唱されるようになり、テレワークになり不要不急の通院を怠けるようになった。
かかりつけの眼科も歯科も地元ではないため、大義名分にしていたのかも知れない。
健康診断で、体重の増加・血圧の上昇が発覚した(あらま、たいへん)。と、思っていたら、(歯の)ブリッジがとれてしまった。
久しぶりに歯科に行ったら別の虫歯も発見された(あらまぁ、たいへん)。貴重な休日の半日をつぶして、歯科に通うことになった。
幾つになっても、逃げ場のない治療台に座って歯を削る音や振動に耐えるのは大層疲れる。
あまり集中し過ぎないように他のことを考える。今夜の献立、明日の買い物、流れるBGMの曲名、10億円の使い道。
どれもあまり気をそらす効果がない。他の人は何を考えて治療時間を過ごしているのかしら。
2年近くの油断が招いた結果だが、おかげで何倍もの労力と時間を費やし、出費することになった。
◆持続する成長
何でも続けていればこその効用があって、いったん途絶えれば取り戻すのは大変だ。
人でも物でも、緩めることはすぐにできるが、締めることは簡単ではない。人は易きに流れるのだ。
多分、人は健康管理でも家事でも仕事でも勉強でも、続けることで維持向上が期待できるのだろう。筋肉には遅すぎることはないというから。
コロナ禍で社会変容が進んだが、新しい暮らし方に慣れてきて、必ずしもすべてを元通りに復元しなくても、充分機能する部分があることもわかってきた。
少なくともテレワークによって人件費の約30%が節減されていると、先日のニュースが報じていた。
しかし企業にとって大事なのは出費を抑制することより、生産性を上げること、変化を成長につなげること。継続さえしていれば良いというわけではない。
いいかえれば企業の継続は、企業の成長を意味する。変わる世の中を把握して迅速に動き、成長を続けなければ存続は難しい。
変化を成長の糧にできるか、変化に押し流されてしまうか、企業はいつも問われているのかもしれない。
人も同じように変転を経ても、歩み続けることが生きている証拠だと思っている。
仕事だけが生きている証ではないが、やはり仕事の喜び・緊張感は代え難い。どんな仕事も大勢の人様の力で成り立っていると思うと、感謝とともに怠けてはいられないと緊張がよみがえる。
高齢労働者にとっては経年劣化が進む中、現状維持がどこまで可能か、スピードはさておき少しでも成長が可能か、と問われている気がする。
健康とモチベーションの維持、就業能力の向上を目指していると、とても大掃除まで手が回らないのだ。
2021年12月8日 (水) 銀子