銀子の一筆

鬼は内!福も内!

立春は過ぎたが、余寒は続く。
日脚が伸びて花舗の店頭には花苗が並ぶが、まだ土いじりをする気になれない。 本当は土に馴染ませるため、温かくなるまでのまだ寒い今頃が花苗の植え時だけれど。公園で庭作業をする方々に、遠ながら感謝を捧げるだけで済ませている。

暦上、立春は新しい年の始まりとされ、前日の節分は前年の最後の日、一年間の邪気を払い厄を除けるために豆をまく。 凶事や災いの象徴にされた鬼は、家々で「福は内!鬼は外!」と追い出され、豆(魔目)に目をつぶされ、、魔除けの焼きカガシ(鰯の頭を焼いたもの)の臭いや柊を避けて逃げ出ていく。 めでたし、めでたし、これで気持ちよく新春を迎えられる、という歳時だ。 スーパーマーケットで鬼面付きの豆まきセットが売られているので、今も家庭行事になっているのだろう。 昔は家族が揃って行った。うちでは、鬼は人間には見えないとされていたので、鬼役はいなかった。豆まきの後は、すぐに座敷に散らかった豆を拾い集めて洗い、翌日は豆味噌にして食べた記憶がある。 何年もたって本棚の裏から古い豆が転げ出てくることもあった。

世の中の人間が平穏に暮らすためには勧善懲悪の掟通り、人々の共通の敵の象徴として鬼が必要だったのだろう。鬼にしたら迷惑な話だ。鬼の人権(?)はどうなる。 家族が声をそろえる節分の豆まきを楽しみながらも、子供心にみんなから苛められる鬼がかわいそうだと思った。

◆人と鬼の分かれ目

昔から私は芝居でも小説でも実話でも伝記でも、または事件でも、中心人物より端役や敵役、少し屈託のある登場人物に興味をもっていた。 怨霊となって光源氏に執着した六条御息所や、シャーロックホームズに振り回される相棒ジョン・H・ワトソンの心情。 裏切者として名を遺した関ケ原合戦の小早川秀秋や、一方的に悪妻と伝えられているソクラテスの妻クサンティッペの本心など。 これらは多くの研究者がそれぞれの見解を示している。が、名も無い人々にも各々の人生で多くの汚点や反省、回復や報いを経た誰も知らない本当の姿があるはずだ。 魔が差すという言葉があるように、私を含めた誰にでも危うさやもろさ、迷いや欲に流される部分があって、何かのスイッチであまりに人間的な姿「鬼」を曝してしまうのかも知れない。 怒りに任せた振舞い、ちょっとした意地悪、押さえられない利己や叶わない願いへの恨みなどが人柄に同化して、人間像として定着することもあるだろう。 事実とは違う予断や偏見も生まれるのかも知れない。怖い怖い、最も自分を知らないのは自分かも知れない。

◆鬼になる

昔読んだSF作家星新一のショートショートに『鏡』という作品がある。
「仲の悪い夫婦が、ひょんなことから悪魔を飼い始める。悪魔を苛めてストレスを解消した夫婦は、世間の評判が良くなり仲良くなる。が、ちょっとした油断で悪魔を逃がしてしまう。夫婦は...」という話だ。

自分より下位の者がいる間、人間は自信にあふれた王様でいられるのかも知れない。絶対的な優位に立つ時は、寛容で善い人になれるのかも知れない。 逃げた悪魔が鬼なのではなく、自分より劣る相手が必要な人の気持ちが鬼なのだ。
誰かなしに自分で立っていられないなんて情けない話だが、本人も気づかない慢心に浮かれることは日常的によくある光景だ。 悪気なく自分の正しさに自信があるときこそ、知らない間に鬼の気が溢れ出ているのかも知れない。他人事ではない、浅はかな私は特に気を付けよう。

鬼が悪いわけではない。(中には善い鬼もいて、地方によっては豆まきで「福は内!鬼も内!」というようだ) 誰の心の中にも鬼が住んでいて、なにかのきっかけで本来の気質が鬼となって表面化することもあるし、環境や状況で鬼にならざるを得ない場合もあるのだろう。 だとすれば、意識的に鬼になることもできるかも知れない。私の中に住んでいるなら、私のために働いてもらおう。当面、人に対してではなく自分に対して、思うようにはかどらない新規業務の鬼になろう。

2022年2月9日 (水) 銀子

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