新鮮で明るい陽光が降り注ぎ、大地は緑を取り戻し花も咲き揃う。
公園の小径にもさまざまな鳥のさえずりが届く。南と北ではだいぶ気温が違うが、野へ山へ水辺へ、旅したい気持ちが湧き上がる。
入学や入社を機に知らない町へ行き、人生の旅を始めた人もいるだろう。
◆渡り鳥
かつて私は十数年間、政府機関の一般会員向け月刊誌の仕事をしていた。特集と現地の企業訪問記事のため、日本中の各県のどこかに毎月必ず取材に行っていた。1都1道2府43県を3~4巡した。 制作室はもらっていたが都内取材もあったし、当時はインターネットが未発達で資料集めや依頼・手配・打ち合わせなどのために月の3/4は不在だった。
それを知った人から、よく「日本中で、どこが一番よかったですか」と聞かれた。土地には土地の匂いや生活の風物・お国訛りがあって、どんな状況でも人間の暮らす場所には文化がある。 良いことも悪いこともあったが、どこも私には捨て難く選び難かった。
◆飛べない鳥
思い出のある取材現場は多いが、中でも強く印象に残った取材があった。
かなり前の話だが、ある県の鶏卵生産企業を訪問した。
広大な鶏舎にはバタリーケージ(傾斜した天地と四方が金網製の連続した飼育かご)が天井まで5~6段積まれ、約20×20㎝²のひとマスに押し込められて身動きが取れない鶏が一羽ずつ入っていた。
24時間照らし続ける照明と生き物の熱気で臭く暑かった。休まず動く大型の換気扇とベルトコンベアの音、数万羽のざわつきで話ができないほどうるさかった。
鶏は大量の栄養剤が含まれる餌を与えられ工場の機械のように卵を産み続けて、生産量が落ちると同じ入荷区分の鶏は廃鶏として一斉処分される。
私たちの平和な食卓の陰の部分、むごい光景に胸が詰まった。企業の名誉のために言っておくが、それが安価な完全栄養・卵のスタンダードな生産法だ。 優良企業として表彰も受けた社長は真面目そうな穏やかなビジネスパーソンだった。 EUでは2012年から鶏に与えるストレスが大き過ぎるとしてバタリーケージ飼育を禁止しているが、日本では生産企業の94.2%以上はバタリーケージらしい(2019年時点※)
◆飛びまわる鳥
数年後、別の県の鶏卵生産企業の取材に行った。今度は有名な地鶏の卵だった。キラキラ輝く太平洋に面した山懐の南斜面、金網で囲った広々した運動場のような所に放し飼いされている鶏がいた。
活発に歩きまわる鶏や草むらに憩う鶏、砂浴びの合間に木陰に置いてあるカボチャやキャベツを自由につつく鶏がいた。地面の窪みに卵が放置されているが、いつ産んだかわからないので廃棄される。
ゆったりした鶏舎には就寝のための止まり木・水や飼料が置かれた広場があって、産卵日時がハッキリわかる産卵棚に鶏自らが入って産んだ卵だけが出荷される。
サクを飛び出て鶏舎に戻らずタヌキやキツネに襲われる鶏もいるが、「時々飛んじゃう奴がいるんですよ」と作業着の社長は笑って言った。
一般流通される卵の10倍以上の価格の卵黄は、ささくれ立った割り箸で持ち上げても崩れないほどしっかりしていた。余計な薬剤などは与えず、ストレスのない鶏が産む自然卵だからだという。
◆堂々巡りからの脱出
取材から帰途の新幹線で、「お疲れさま」と自分を労って缶ビールを開けた。一つ空けた並びの席で同時にプルトップを開けた人がいて、互いに無言で「乾杯」を示した。
話し始めたのは大手の化学薬品会社のビジネスパーソンだった。自社の製品には絶対の自信があるが、それを使って育てた薬味野菜は食べないと言う。
「私は農家で育ちましたからね、当たりはずれのない農作物に少し抵抗があるんですよ。職業とは矛盾してますが」と言った。
うちのプランターの薬味より、年中スーパーでは立派で美味しそうなものが売られているのに。
何かを得れば、何かを失う。私たちはいつも良心と欲望のはざ間で、ジレンマを抱えている。さまざまな場面でこれ以上乖離してはいけないと、SDGsが生まれたといってもいいだろう。
しかし一度覚えた「便利な成熟」を手放すのは容易ではない。庶民の持続可能な我慢と、優先順位のある必要なだけの開発は、果たして可能だろうか。
私たちよりもっと明晰な知能と感性・技量を持っている異星人が見たら、愚かな人間の遅い歩みに呆れるだろう。
これでいいと思っているわけではないが、ストイックにもなり切れずに堂々巡りを繰り返している地球人を。
それでも「人間は努力する限り迷うものだ」とゲーテもいっている。我慢し過ぎずに、迷いながらも努力の結果がより良い選択に結び付くような、高度な文明社会にしていこう。
とりあえず今日は卵の特売日、冷蔵庫に補充しておかなくては。
2022年4月13日 (水) 銀子
※養鶏・鶏卵行政に関する検証委員会「養鶏・鶏卵行政に関する検証委員会 報告書 令和3年6月3日」
https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/hisyo/attach/pdf/210603-2.pdf(最終アクセス2022年4月7日)