■この世の思い出
立秋を過ぎてなお、暑さは鎮まらない。日常生活をこなしながらも、今年は何だか胸の底が落着かない。過激な天候のせいだけではなく、不透明な先行きの不安が社会を浸しているからか。風鈴や子供の声、盆踊りなど夏の風物音に平和を感じられない不寛容な時代のせいか。
昔、町の日常は平和な音で満ちていた。早朝の牛乳配達の音・アサリや蜆の売り声・豆腐屋さんのラッパなど。陽が高くなれば竿竹など物を売る声が住宅地にも響いた。行商人が来て紙風船をくれる日もあった。ザリガニが田水の中で茹っていたという話が出るほどの高気温や、生活音がトラブルの一因になる現代では考えられないが、金魚・風鈴・虫かごなど季節ものを売る声も流れた。
中でも思い出に残るのは、時々町にやってきたポン菓子屋さんだった。窯の中に米を入れ高圧力をかけて加熱する。蓋を開けると同時にポン‼という破裂音がして水蒸気が立ち上り、金網の籠に膨らんだ米の粒が飛び出してくる仕組みで、正しくは穀類膨張機という機械らしい。私は作業工程も、でき立てでまだ熱いポン菓子の味も大好きだった。ポン‼という(人によっては「バクダン」とか「ドカン」などと呼ぶ)音がすると、そこここの家から米と加工賃をもった子供が出てきて大人気だった。今はスーパーなどで袋に入って売られているが、あのポン‼という臨場感が素敵だったのだ。
◆非日常の興奮
子供は物見高く、非日常が好きだ。ハーメルンでなくとも商店街にチンドン屋さんが来れば付いて行ってしまうし、公園では拍子木を打って呼び寄せる紙芝居に群がる。縁日では綿菓子・りんご飴・ベビーカステラ・ハッカパイプに目を奪われ、金魚すくいや水風船釣りに夢中になる。家庭で作る茶色の菓子よりも、舌が毒々しい真っ赤(いちご味)・真緑(メロン味)・真黄色(レモン味)に染まる菓子を欲しがる。子供が視認性の高い(はっきりと見えやすい)色を好むのは、視覚から刺激されたエンドルフィンが神経を興奮させて、達成感や幸福感に似た気持ちになるからかも知れない。非日常に興奮するのは子供ばかりではない。時には大人も興奮する。
うちは比較的早期にテレビを買った。まだ珍しかったので、番組によっては近所の人が「見せてください」と訪れることがあった。特に当時人気が高かったプロレスが放映される日は人が集まり、祖母は麦茶を準備したりスイカを切ってもてなした。ある日、日本一といわれたプロレスラーが出血しながらも健闘する姿に一同熱中していると、テレビを見に来ていた近所のおばあさんが鼻血を出してしまった。まあ大変!横になってもらったり冷やしたりして、画面の中でもうちでも大騒ぎになったことがあった。治まれば本人もみんなも一安心、和気あいあいの笑い話になった。テレビが一人1台の今からは、想像できない長閑な時代だった。
◆あの世とのつながり
そんな懐かしい昭和の思い出を上司と話していた。ちょうどお盆時期で、話題は仏事の風習に及んだ。東京では7月に盆行事があり、うちではキュウリの馬とナスの牛を供え、迎え火と送り火をする程度の習慣だった。歳時にはやかましかった祖母も無信心で「死んだ仏より生きている仏が大事」と言って、天候によっては気軽に墓参の予定を変更するなどしていた。
上司の故郷では葬儀の折に、白は子・赤は孫・黄色は曽孫や玄孫などと色分けにした「涙手拭い」を親族に配り身につけたという。そうして周囲に代替わりを知らせていたのかも知れない。 また8月の盆には、盆提灯をさげて薄暮の墓に仏を迎えに行き、盆明けには同じ提灯を携えて暮れがての道を墓まで送って行ったという話を聞いた。なんて美しい光景だろう。家と家族の象徴的な場面として、映像が思い描かれて胸に沁みた。 土地の風習には特有の心遣いがある。こうした優しい習慣は次第に消えていくのだろうか。人口流動が進み、土地に育った習慣は薄れていくのだろうか。
誰もが自分の過ごした時代の、愛着ある懐かしい良き風景を思い出す。今と比べて昔の方がよかったなどと比較する気はないし、美しい文化が消えていくのも自然の成り行きかもしれない。しかし、私は何らかの形で親や先祖、有縁無縁の先人、今の自分につながる死者と話すことは大事だと思っている。思い返せば当時の相手の気持ちに共感できることもある。到来物があれば供え、良いことが訪れた感謝・悪いことに出合った反省を報告する。生きているが如くに接するというより、生きている時にはできなかった素直な話ができるような気がする。盆はその機会になる。よい話が増すように生きていきます、と約束もできる。
2022年8月10日 (水) 銀子