◆サクラハサクか?
今を盛りの桜も、遠からず葉桜を迎える。新旧が入れ替わる季節に、花が散り葉が伸びる象徴的な頃だ。ほころび初めから吹雪の散り様まで、桜は日本人にとって特別の存在といわれる。花の下では理屈抜きの美しさに惹き込まれ、しばし日常を忘れる浄化の効ゆえかもしれない。
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と江戸時代の俳人大島蓼太が詠んでいるように、世界は刻一刻と変容し続けている。新社会人は、毎日が変化や発見の連続だろう。今しかない瑞々しい感性で、良い物事も悪い物事も貴重な経験として自分の栄養にしてほしい。
◆新しい暮らし方
社会生活も時が経つと、仕事の都合・健康状態・収入や家族構成の変化など不可避の理由から、生活の変更を迫られることが多くなる。もっと年を経ると同じような理由からだけでなく、今後の生き方を定めて生活を考えなおすことがある。将来の自分の環境や状況が、おおよそ見えてくるからだ。人によっては第2の人生のために移住や起業を果たす人もいるし、長閑な隠居生活を楽しむ人も、仕事という世界で生涯現役を貫く人もいる。今まで成り行きに沿って好きに暮らしてきた私も、(通常よりだいぶ遅いが)人もすなるという見直しをして思い切って引っ越しを決めた。
といっても進取の挑戦や冒険の気持ではなく、複雑になり過ぎ余計なものが増え過ぎた生活を整理して、心穏やかなシンプルな暮らしにすることが目的だった。自分にできる仕事を無理せずに続け(お陰様なのだが)、鴨長明のように合間に勉強や遊びを加えて身軽に過ごせたら、どんなに素敵だろう。ごく自然で質素な願いだ。しかし、その前に大きなハードルがあろうとは。
◆立ちはだかる壁
これとこれを契約するとインターネット通信料金がさらにお得!などの情報に目を奪われて、かえって自分の体力・気力以上の面倒を抱え込むことになってしまった(私が愚かなせいなのだが)。これでも同世代の友人の中では、私はPCに近い人だった。が、問題はスマホだった。一応スマホを手に入れてはいるが、全く活用していないのだ。最近の若者はスマホに慣れ過ぎてしまって、PCリテラシーが乏しいことが問題視されているとも聞く。そんな若者から見れば、話の外の外・初歩的レベルだろうが、他人は他人。便利でしょうが見えにくく、私には使いづらい。
申込みから問合わせ・機器の接続から契約確認、何から何までスマホ主体で、非常なストレスに見舞われている(もっと慣れておくべきだった。助けて~!叫べども救援なし)。
ちょっと気を緩めている間に、すっかり世の中はスマホが常識になったようだ。スマホを持たない、あるいは若い家族や秘書がいない高齢者は、社会から除外されかねない絶望的な状況だ。
◆開花を目指す
ITを駆使した研修企業で働く身で言うのも気が引けるが、ITは賢いのだからもっと人に近づくことができるのではないか。社会から取り残される情けなさと絶望感に沈むIT弱者を捨てずに拾うことこそ、ITの使命であり期待されることではないのか?
度重なるエラーに挫折して、一時は引っ越しそのものに嫌気がさしたほどダメージは大きい。が、社会が望むのならめげない。早く落ち着いた静かな生活に戻りたい一心で、何度でも聞きながら、あと一歩もうちょっと頑張るより他ない。 さまざまが落ち着いたらすることを決めた。スマホを学ぶ。エクセル教室に行く。遅咲きであっても私は「サクラサク」と言えるだろうか。
2023年3月27日 (月) 銀子