体温を越える気温も珍しくなくなった。路肩の雑草も枯れるほどの灼熱が続く。早朝の少し涼しい時間帯には小鳥の声が聞こえる小道も、日盛りにはエアコンの室外機の音ばかりになる。こんな日にも屋外で働く方々に、感謝と敬意を表したい。ありがとうございます。
少し前までは高温下で働く人用だった送風機内蔵の機能服が、一般衣料にも応用されるようになってきた。内側に送風機能を付けたベビーカーや日傘もある。かつてはオシャレのためだった犬の靴も、今は最高温度60℃にも達するアスファルト路面で肉球の火傷を防ぐためらしい(もちろん日中の散歩を見かけることは少なく、夜になって多くの犬に出会うのだが)。とっくに団扇や簾で涼がとれる時代ではなくなったのだろう。二酸化炭素の増大を気にしつつも、取り合えず今の健康維持と仕事効率を優先させてエアコンに頼る時代なのだ。
■緊急連絡網
私のイトコは、世代が違う2つのグループだった。親たちは、大きい子たち・小さい子たちと呼んでいた。大きい子たちは最年少の私以外は(つまり男子は)既に亡い。小さい子たちの最年長は私より15歳年下だが、残ったのは1人暮らしになった女性ばかりだった。大きいイトコ達とは幼い頃、何かというと一緒に過ごした仲良しだったが、小さいイトコ達とは歳が離れていることもあって、冠婚葬祭に会うぐらいで詳しい住所も知らず、密な付き合いはなかった。
ある日、なかの1人から久しぶりの連絡があって、万一の場合の連絡を取りやすくしたらどうかとの話があった。互いに価値観も生き方も異なるだろうしコミュニケーションも希薄だったが、今から濃い付き合いを始めるのもストレスになる。そうではなく、残り少ない親戚の安否確認くらいは確保したいとの提案だった。そうね、改めて互いの負担にならない程度の緩やかな繋がりをもってもいいかも知れない。(多分、今でも「おねえちゃま」と呼ばれる私がお世話になる確率が高いのだろうが)
世代も個人的事情も違う関係者の、組織内の必要最小限の緊急連絡網のようなことだろう。
■変わり続ける通念
職場や社会の中では、人それぞれ違うことが当たり前。違うことが前提の礼節・コミュニケーション・仕事になる。個人に踏み込み過ぎない距離感と、組織の構成メンバーとしての親和感を維持して成り立つバランスが崩れれば、仕事に響くストレスになる。
その点、血族は長く没交渉でも、ある程度の価値観や生活感覚の基本的なところが分かっている分だけ安心感がある。しかし、中高年のイトコ達と他愛ない思い出話や近況報告などを交わしているうちに気づいたことがある。意見の違い・生活の違いなどハッキリしたことではなく、何となくの違和感だった。(ああ、これが組織内で課題になる世代間ギャップか)
年齢の違いが問題なのでなく、世代の常識・個人の社会的バックボーンの差異なのかもしれない。つまり当たり前ながら、問題の大小に関わらず社会の通念は刻々と変化していて、その中で過ごしてきた人間との違和感かも知れない。個人的には無理なくひと時を共有できる年齢差のある親しい知人もいるが、それは何か共通する目標なり楽しみがあるからだ。
であれば組織内にある世代間ギャップは、いつの時代にもあること、さほど深刻な問題ではないと思える。年長者のもっと密に繋がれるはずだ、という支配欲にも似た熱すぎる期待または過剰な要求なのだろう。仕事という共通項の下で、ルールを守り真摯に努力する若者に何の文句があろう。必要以上の人間的付き合いをパスするのは理解できる。仕事以上の人間関係は、強要されて作るのではなく、自発的な興味やご縁によって偶発的に始まるのだ。違う通念で暮らす人に自分の常識を押し付けては、仕事そのものに嫌気がさしてしまう。
避けることなく近づき過ぎないことが、どんな人間関係にも必要だと思える。老若男女上下に関わらず「親しき仲にも礼儀あり」は真理であり、警告でもあるのだろう。
2024年8月5日 (月) 銀子