ようやく秋の気配が満ちてきて、窓を開け放すと金木犀の香りがほのかに届く。地震に次ぎ大雨に見舞われた地にも、休憩のひと時に眼を癒す秋の花々は咲いているだろうか。仕事や友情は保てているだろうか。誰にとっても明日の我が身、穏やかな日々の回復を祈りたい。
何事も自分の身に降りかかるまでは、他人事に違いない。先日墓参に行った折、電車内で嫌な経験をした。私の前に電車に乗った人が急に体の向きを変えたので、彼の大きなリュックが私の顔を直撃しそうだった。とっさに避けようとしてかざした手を、リュックが打った。すると、今までゴク普通のビジネスパーソンに見えた彼が、私物に触れたとして大声で文句を言ってきた。(え~っ?)思わず「違います」と言ってしまった。(ああ、バカな私!挑発に乗って反応してしまった)男性の大声は、それだけで威圧的で恐ろしい。用もない次の駅で電車を降りた。事件はこれだけだが、私の平和な一日は怖くて情けない一日になった。
■ダメージ
ドキドキが収まらないまま家に帰ってテレビを点けると、ビクトール・フランクル(オーストリアの精神科医・心理学者・ホロコースト生還者)の実存分析(ロゴセラピー)の特集をやっていた。人間への限りない畏敬に基づく心理療法で、理不尽な相手を怒らず理解して受け入れれば、人の世に争いは起きにくい、というものだった。
分かっています。世の中の出来事を見ても、憎しみが憎しみを呼び報復の連鎖になることは知っています。怒る前に数秒、深呼吸すると落ち着くことも。だがしかし突然わが身に起きた事態に即対処できるほど、相手を鎮める接し方を身につけることは難しい。自分の度量の無さ・挑発に乗る愚かさに傷ついて、しばらく回復できなかった。世の中は思わぬことが起き、それに引きずり込まれてしまう自分がいることを痛感した。
■現状
自分が選んだ仕事に励み・自分の範囲で生活に努め・自分の健康を守る。苦労も文句も災難も悩みも無い訳ではないが、多分こういうことが平和というものなのかも知れない。責任と自由が両立する平穏な日々を過ごしていると知らぬ間に幾分の自信がついて、(多分錯覚だが)意志さえあれば何でもできるような気がする。若い人々にとってはそれが明日への挑戦力になるし、高齢者にとっても諦め半分の充実感をもたらす。アスリートの記録・アーチストの作品・天才的な創業者など秀でた他者との比較は論外でも、今よりベターな自分になれる気がする。もっと高く・もっと強くなれる気がする。
思い立ってプールに行き始めた。水遊び程度なのだが、が、が。子どもの頃は水泳が得意だったのに、若い頃は山歩きが好きで脚力には自信があったのに、なんということでしょう。泳いでも筋力不足で前に進まない。沈みきれない・浮かびきれない・息が続かない。温水だがこれが「冷や水」というものか、おのれの身の程知らず、浅はかな慢心にガッカリした。
■自己回復
それでも初心に戻ってゼロから習い「今より少し負荷をかける」を続けることは、良いことに違いない。ほんの少しずつ体調も精神も改善するのが分かる。リハビリテーションの基本効果だ。異常気象・感染症・国際紛争・経済乱調・政策不安・犯罪多発などの環境変化に自分ではめげていないつもりでも、みんな少しずつ病んでいるのかも知れない。もしかしたら誰にもリハビリが必要なのかも知れない。眼にも自覚も定かではないが、知らず知らずのうちに疲れがたまって体も心もチョッピリ傷んでいたことが、リハビリで明らかになる。
早期発見、早期治療。自分の現状を知って地道に修正を図ることは、心身のレジリエンス強化につながる気もする。冷や水遊び、してみませんか?
2024年10月28日 (月) 銀子