11月3日は文化の日だったが、皆さまはどんな1日を過ごされただろうか。
日本国憲法では「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを重視しているため、1948年に「文化の日」として制定された。以降、この時季には各地で音楽・演劇・美術などの文化行事が多く行われる。「文化」というと、本来は生活様式や価値観のバックボーンになる考え方といっても良いだろうが、時代や社会環境によって考え方の差異も大きい。
各地の文化を訪ねる旅、取材旅行の際には、できるだけ多くの現地の人に直接話を聞くようにしている。データ集計のための正式な調査ではないので、何らかの結論めいたものがあるわけではないが、それらは必ず記憶の底に生き生きした情報として残って、後々役に立つこともある。観光雑誌やガイドブックより、現地の人の声が最も鮮度がいい。世間が思っていることと、現地の人が思っていることのギャップなども分かる。
約40年前、2週間のアラスカ取材に行った私は、旅の間中同じホテルに滞在した。ホテルで私の部屋を担当するルームメイド、スージーは健康的で快活、若くて明るい働き者だった。いつも誰かのために動いていた。だんだん仲良くなったある日、「クッキーを焼いて持ってきたから」と言ってお茶に誘ってくれた。彼女の仕事仲間も一緒にお茶を飲んで少し話した。
スージーは、アラスカ州を南北に縦断する石油パイプラインの技術長の妻で、日本流にいえば村の「ちょっとした名士の奥さん」だった。日本では男女同権などと叫ばれていても、まだまだ妻が働きに出ると夫の面子をつぶすと思っている人が多くいて、妻が仕事をもつことに「世間体が悪い」と、否定的な夫たちが少なくない時代だった。
スージー、どうして働くの?
「働くのは普通のこと。私は働くのが好きだし、この仕事が楽しいの。働けること自体、ハッピーじゃない?ヘルシーでもあるわ」
夫はどう思っているの?
「どうも思ってない。私のことだし。反対する理由がないわ」
周囲はどう思っている? スージーの仕事仲間に聞くと、
「別に。普通のこと。夫の地位とスージーの事は関係ない。村の人はみんな普通の事として受け入れている」
と言った。
別のメイドはたまたま、乳飲み子を連れて仕事に来ていた。彼女の仕事中はホテルのコックさんが面倒を見てくれる。誰も不思議に思っていない。アメリカの僻地、田舎だから通ることで、ニューヨークやシカゴでは通らないことかも知れない。それでも、ケロリと明るく自分の仕事を選べる女性のあり方に新鮮な驚きがあった。
もちろん助け合わなければ生きていけない苛酷な気候条件などの背景はあるのだが、個人的な事情もひっくるめて、仲間として自然に受け入れている周囲にも驚いた。当時の日本では、頭では分かっていても周囲の、または自身の偏見がまだまだ根強かった。「日本は遅れているんだなあ」と痛感した。
40年経って働く女性が珍しくなくなっている今、日本の女性たちはどうだろうか。最近、それぞれ企業内で責任あるポストを得ている何人かの働く女性に、個別にインタビューする機会があった。子育て中の母も独身の女性もいたが、口を合わせたように同じ主旨の答えだった。
「どこにでも多少の差別、偏見はあると思います。今は私たち女性がそれでも誇り高く仕事に向かっている姿勢を示すことが、働く女性全体の社会的な向上に繋がると信じています」にこやかで穏やかにいう彼女たちの自信と器量を涙ぐましく、誇らしく感じた。
確かに40年前、女性が積極的に社会と関わろうとすると、あからさまな「~のくせに」「~なのに」「~にしては」という反応に出会った。40年経って進化もあったが、先の女性たちがいうように本質な変化は道半ばだ。
今も私は新たに「高齢者」として「~のくせに」「~なのに」「~にしては」と戦っている。
大事なことは、他人にどう思われるかより、自分がどうしたいのかを忘れないこと。焦らず怠けず地道に努力することで、性別や年齢に関わらず、誰でも自分の将来を自分で開くことが自然になる日が必ず来る、と信じている。
文化は一日にして成らないのだ。
がんばれ! 日本のスージー!
2019年 11月 13日 (水) 銀子