新入社員は新人研修を終えて、いよいよ実務に入っている組織も多いだろう。新人研修では、社会で働く自分を支える指針を得られただろうか?
就職に縁がなかった私には新人研修の経験もないのだが、初めて社会で仕事をすることの厳しさを肝に銘じたことがあった。
1967年当時、大卒初任給が約3万円だった頃、在学中にアルバイトの代わりとして始めた仕事の報酬は軽くその2~3倍になった。当然のように就活もせず、広告や編集の勉強をしてフリーランスのライターになった。あるとき、取引先の紹介で大手企業のマニュアルを作ることになり、ひと月ほど出向して研修を受けた。
出向先のリーダーは、自他に厳しく取りつく島もない人で、目の前で社員が何人も泣かされていた。案の定、私もご多分に漏れず、思わず涙が落ちるほど、すぐにでも逃げ出したい辛い日々だった。
ある日、私を紹介した人が様子を見に来てくれて、外に呼び出された。
「僕は、君の預金口座にいくらあるのか知らない。仮に実家がどれほどの資産家であっても、今、眼の前にあるこの仕事で、自分は食べていくんだと思わなきゃだめだよ。リーダーは問題の多い人だとは知っているが、彼の仕事は完璧だよ。悔しかったら、『なぜ彼は嫌な人なのか』じゃなくて、『なぜ彼の仕事が評価されるのか』を考えなきゃ。仕事って、そういうことだよ」
目からウロコが落ちるというのはこのことだった。
その日からリーダーの人柄なんてどうでもよくなった。黙々と自分の眼の前の仕事に専念した。当たり前のことだけれど、どう思われるかではなく、何をすべきかが最優先になった。出向を終えたとき、あのリーダーが「お疲れさん。頑張りましたね」と言ったうえで、以降の外注契約をしてくれた。
良いことがあって舞い上がりそうなとき、悪いことがあって落ち込みそうなとき、疲れて怠けてしまいそうなとき、時々思い出しては気を確かに持つように自戒している。
思えば今も忘れないあのときが、社会に出るための私の新人研修だったのかもしれない。
2019年 4月 24日 (水) 銀子