立春を過ぎても、東北地方の日本海側には大雪が続く。不思議なことに秋田市では雪が少ないらしく「今年は楽だ」と在住の友人が知らせてきた。寒い地方・暑い地方、それぞれ暮らさなければ分からない苦労も喜びもある。どこに住む人にも恙ない毎日でありますように。
子供の頃、重要文化財に指定されている世田谷代官屋敷に連れて行ってもらったことがあった。代官が何なのか知らなかったが、重々しい長屋門、大きな茅葺の邸宅、お白洲(裁定を受ける原告・被告が座る砂利敷の場)などをおぼろげに記憶している。
代官とは、君主または領主などに代わって地域の行政事務を行う役職で、主に江戸時代に定着した。奉行の下に位置して年貢の取り立て・住民の争いの調停など広範な仕事を担当していた。地元の有力者が着任することもあった。世襲することが多く、地元との親和も得られたが癒着もみられたようだ。
■望む結末
時代劇では、自分の商売に融通を利かせてもらうために、内底に小判を敷き詰めた菓子箱を代官に献上する大店の主がよく出てくる。代官はチラッと確認して「お主も悪よのぉ」などと言って、ほくそ笑み謀議する。企み通りに弱い市民が利用されたり罠にはまるのだが、心配は要らない。お約束通り必ず最後には悪を懲らしめる正義の味方が登場して、痛めつけられた庶民を救い大団円を迎える。
複雑な機微・屈折した愛憎、駆け引き・復讐・利害が絡む心理劇は面倒臭いが、勧善懲悪のドラマはシンプルで分かりやすく、期待通りに正義の勝利で終わればスッキリした後味になる。スポーツドラマもまた、根性と鍛錬によって厳しい局面を乗り越え、必ず報われるのだ。どちらも現役を退いた高齢者や、まだ社会に出ていない子供たちに安心感と勇気を与え、人気を呼ぶ。気持ちは分からなくはない。だが、現実社会はそんな具合にはいかない。往々にして正義や道理は評価されないし、努力や誠意は報われないことが多い。
■身中の代官
現代社会では、事件の大小も・階層の上下も・思考の右左もなく、一律に国内外の市井に悪代官が溢れている。今も昔も同じ、欲に駆られた悪事の種は尽きないのだと感じる。まさかの正義の味方が来て一気に悪を一掃して、真面目に働く多くの人々に安心の日々を贈ってはくれまいか、と宛てなく願いもする。
生身の人間である代官の中には弱い人間もいる。が、代官が皆悪党な訳ではない。中には、領民への教学・地域の治水などを行った早川八郎左衛門正紀、支配地に甘藷(サツマイモ)栽培を導入して領民を飢饉から救った井戸平左衛門正明(正しくは正朋とも)など、地域に貢献し領民から慕われた名代官も多い。
職場のスラングで、尊大で部下に無理を強いる上司を「お代官様」というらしい(本当は有能であるものの想像力不足のリーダーかも知れないが)。なぜか古風な役職名が今もハラスメントの象徴として通用しているのが面白い(鍋奉行というのもあるが)。それだけ今も昔も変わらず、権力の圧制に苦い思いをしている人が多いのだろう。
人間は胸中に良心と悪意を同居させているという。ならば良心に自らの名代官を派遣し、悪意を抑え良い方向に司らせよう。ヒーローを待つまでもなく、困難はあっても動じずに自分に専心することが、自身の安寧を得る秘訣であることを忘れないようにしよう。
2025年2月10日 (月) 銀子