昨今はウナギの高騰で、簡単にうな重など食べられない。もしも平賀源内が「土用丑の日うなぎの日 食すれば夏負けすることなし」などとキャッチコピーを作らなければ、これほど習慣化しなかったのではないか。
人心というものは、言葉一つに乗ってしまう。
約半世紀前、その年も暑い夏休みが始まり、私は大学の友達と涼をとりに山中湖までドライブした。木陰に入ると涼しい風が心地よい。是非とも今年は、ひと夏を山中湖で過ごしたい。
しかし、観光会社や不動産業者の貸し別荘はキレイだろうが高い。そこで、小さな貸家をもっている地元住人を探して、畑に出ている人にきいて回った。数人目で自家用の小屋をもっているという老夫婦に出会った。
不躾ながら「ひと月貸すつもりはないか」と丁重にきいてみると、二人は顔を見合わせて「貸し用じゃないけど」と言って小屋を見せてくれた。小屋はペンキが剥がれかけた粗末なつくりで、4.5畳と3畳に台所と風呂・トイレ、雨風に晒された広いベランダが付いていた。湖は見えないが森の中で涼しく、夏休みを十分快適に過ごせる。
ぜひ、ひと月拝借したいと交渉した。すると驚いたことに、1か月間5万円などと言われた(大卒初任給約3万円の時代に!)。そりゃ若い女の子が突然やってきて、ひと月借りたいなどと言えば、怪しいし信用できないのが当然だが。夫婦は「もともと貸せると思っていない小屋だもの、高額を了承するならそれでよし。どうせ諦めて帰るだろう」と、高を括ったに違いない。
私は軽くあしらわれたことにカチンときて、つい「じゃ、8・9・10月いっぱい、3か月で10万円にしてください」と言ってしまった(文句ないでしょ?とばかりに)。臨時収入の金額に、夫婦は驚いて急にニコニコした。
私は内心「しまった。支払える予定なんか全くないのに......」と軽率を後悔していた。今更、後には引けないし、別荘暮らしを諦めたくないし、結局契約してしまった。契約のお金は、母に借りた。
テレビも電子レンジも電話もなく、仲良しの友達と読書三昧・散歩がてらの買い物・料理・おしゃべりしながらの刺繍や編み物などの毎日だった。湖畔から望む美しい富士山、涼しい風に揺れる山野草、静かで贅沢な森の暮らしを満喫した。
夢のような8月がアッという間に終わり大学が始まっても、高額投資をした小屋に暇を見つけては友達と通った。母からの借金は、9月になっても一銭も返していなかった。どうしようか。
湖の秋は早い。ある日、電気炬燵の天板の裏面に麻雀用の緑のフェルトが張ってあることに気がついた。避暑地の賑わいは無くなったが、東京から近い山中湖にはシーズンオフでも需要があると思った。
そこで、チラシを作って信用できる友達に配った。
言葉一つに乗ってくれた友達は多かった。結構、需要が高く、鍵の受け渡しに忙しかった。
「それでもダメだろうなあ、返済の不足分はアルバイトして返さなきゃ」と思いつつ、小屋に置いたカンパ缶(集金のためのお菓子の空き缶)を開けてみると、ビックリ!何と小銭や図書券などとともにザクザクお金が入っていた。最終的に収支はほぼ合い、自分が遊んだ分がタダになったことがわかった。
若い時、私は思いつくと後先考えずに動き出し、いつもイソップ風キリギリスの窮地に立った。しかし、いよいよ困ったと思うとフッと助かってしまうことが多かった。
借金を完済した時に、母から言われた。「いつでも何とかなると思っていたら大間違いよ」「はい。気をつけます」と改心したはずだった。が、本性は改善されず、その後も戸建ての事務所を借りたり、屋形船パーティを開催したりした。いずれも綱渡りだったが、振り返れば面白い経験をした満足感が大きい。
褒められる資質ではないけれど、好奇心優先の恐いもの知らずで、50年のフリーランスを経て70歳にして初めての就活をした。今は毎日の勤め人生活が、これまた面白い。
2019年 7月 24日 (水) 銀子