街には風に揺れるコスモスが見られ、二度咲きの金木犀の香りも漂う。ようやく凌ぎやすい日々が戻ってきて外歩きが心地よい。開け放した窓からの風を受け、仕事前のお茶を飲みながら新聞を広げる。波乱に満ちた世の中であっても、誰の身にも穏やかな朝の一時が脅かされませんように。
陽気がよくなっても、それだけで満足な訳ではない。物価が高くて困る、銀行の昼休業は不便だ、お祝いにどれほど包むかなど、互いの日常を知っていて共感できる友人との話には細々した不平不満、ちょっとした不安がよく出てくる。が、互いに不案内な仕事上の悩みや迷いなどは、言っても通じないので日常の友達には話さない。仕事や職場全体を把握している信頼できる先輩に相談できれば、話が早いし心強い。最終的には自分で決めることでも正しい方向に向けたヒントがもらえる。経験の浅い若手の社員などは、どうしているのだろう。
■メンターの憂鬱
仕事上のストレス・職場の人間関係・将来への不安など、時代の傾向もあるのだろうが誰にも相談できずに労働意欲が低下し転職を考える人が増えているらしい。近年、そうした不安を解消しモチベーションを育て、離職を回避するべくメンター制度を導入する組織が増えている。最近、メンター(相談を受ける立場)を担当することになった知人が悩みをもらした。
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こんな話だった。
メンティはメンティで
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などと思っているようだとも言っていた。
とかく人の世は気を使い合ってすれ違う、厄介な関係に思える。これがストレスになっては、せっかくの制度の意味がない。そもそも社内の先輩に相談するのに制度化する必要があるのかしらとも思う。が一方、誰に相談すればいいのか分からない仕事上のことを、聞いてくれる先輩がいれば確かに安心できる。1on1はじめメンター制度・エルダー制度・OJT制度など部下育成のさまざまは、円滑に機能すれば個人にも組織にも有益だが、下手に扱えば不幸を増やすことになる。どんなに優秀な先輩でも、愛情いっぱいのアドバイスを押し付ければ踏み込み過ぎで迷惑だし、メンティのためを思っても共感なしに突き放せば信頼も薄くなる。「智に働けば角が立つ情に掉させば流される......とかくに人の世は住みにくい(夏目漱石『草枕』)」のだから難しい。制度があっても無くても人対人として「どう思われるか」を気にせずに、率直に話せる心理的安全性の確保が要になるのだろう。部下育成に限らず結局はすべてに関して、日頃のコミュニケーションや信頼関係が土台になるのかも知れない。そういう意味では、組織が全社に向けて行う風土づくりやマインド教育の責任は軽くないと思う。
組織の命令・上司先輩としての責任・部下の成長育成のためだから、と制度に義務的に従うのは少し違うんじゃないかなぁ。メンターは、制度を活用して行う他人のためではない自分の成長のためのトレーニングだと思えば、前向きになれるのではないかと彼に言った。 「誰かのために」は「誰かのせいで」に似ている。メンタリングは誰にとっても「人のためならず」なのではないか、と僭越ながら思ったのだ。
2023年10月23日 (月) 銀子