やっと暖かさが安定してきて、散歩や買い物の足取りも軽くなる。花も緑も新鮮で、小鳥の声ものびやかに聞こえる。柔らかな風が吹く街も春を楽しむように色鮮やかだ。希望に満ちた人たちだけでなく不安な思いを抱える人たちにとっても、安寧の4月でありますように。
知らない街を散歩していて、右に進むか左に折れるか迷うことがある。どちらでもいいのだが、水辺が近そうだとか花が咲いているとか気分で選ぶ。運よく先においしそうなパン屋さんがあったり、緑あふれる遊歩道に通じることもある。が、殺伐とした廃棄物の置き場に当たったり工事中の長い囲いが続くと、不運な退屈にがっかりする。時の運・不運も面白いとは思うが、やはり美しい風景や心休まる光景に出会えば幸せな時間になる。 考えてみれば、日常の何気ない選択が次の展開につながるのだから恐ろしい。まして弾みで決めたことが、後の人生を変えるかも知れない場合もある。大きな決断は最善の結果を期待して「うまくいくだろう判断」をする前に、最悪の結果「かもしれない検討」をして、リスクを回避する必要があるだろう。
■今生のうたかた
嘘のような幸運、嘘だったらいいのにと思う不運。生き物の中で意図的に嘘をつくのは人間だけ、生きるためにお金が必要なのも人間だけ。嘘を伴うお金も悪巧みも人間のものなので、多分嘘のない社会は実現しないだろう。 かつてイギリスのロックグループが歌った『Money』という曲が、率直に「金が欲しい」「金をくれ」と繰り返すのを聞いて「人間的あまりに人間的」と友達と笑ったことがある。高度成長期当時の経済至上の風潮を皮肉った曲を演奏者も聴衆も面白がった。
株価が上昇して市場が活性化している。少額投資非課税制度による長期投資を始める人も増えている。自分のお金を管理して育て、将来に備えるのは素敵なことだ。しかしリスクを含まない投資はない。
微分積分・万有引力の発見などで知られるイギリスの科学者アイザック・ニュートンは、株に興味をもって長年手堅い投資を続け好調だった。イギリスの貿易会社、南海会社の将来性に投資し当初は順調だったが、1720年の狂乱相場により株は大暴落(南海泡沫事件)、大金2万ポンド(現在の日本円で約15億円)を失った。彼は「天体の動きなら計算できるが、人々の狂った行動は計算できない」と嘆いたという。
チューリップバブル(1637年オランダ)・ミシシッピ計画(1721年フランス)と並ぶ三大バブル経済の一つとされる南海泡沫事件あたりから、実質以上に上昇して崩壊しやすい景気をバブル経済と呼ぶことが定着したらしい。うまい話、または甘い話に弱い人間の苦い結末を聞くたびに、私はジャズナンバーの『Easy Money(あぶく銭:努力なしで思いがけず手に入れたお金)』と言う軽妙な曲を思い出す。ニュースを他人事として聞けば、バブルも何か悲しくも人間らしい気がする。
■忘れない5円の話
お金に対する価値観は人それぞれだが、お金は多かれ少なかれ誰の人生にも関わる。子供の頃の私は、比較的恵まれた生活をしていた。一貫教育の私立女子校初等部の同級生も同じような状態だった。小学高学年の担任がお金に関して言ったことを、私は今も忘れない。
当時の私たちから見ればおばあさんだったが、背筋の通った厳しい先生だった。何がきっかけだったか忘れたが、「いいですか。他人のお金に関して、たったの○○円、わずか○○円、これっぽっちなどと決して思ってはいけません。恵まれた人達から見れば少額であっても、ある人にとっては簡単なお金ではないかも知れないからです」と言った。そして「皆さんは今ここに5円あったら、どう使いますか?5円では何も買えないと思うでしょう?(教室はガヤガヤした)今5円で買えるもの、郵便はがきです(当時)。はがきが物価の最低額なのは、人が誰かに最後の連絡を取ることができるからではないか、と私は考えます。それが郵便の使命だとも思います」と続けた。「皆さんには、誰かが用意してくれた恵まれた環境のお陰ではなくて、自分がもっている実力だけで自分を生かしていくことの重要さを考えてほしいと思います。そうすれば他人に対する見方が変わって、尊敬の心が生まれます」
先生は、甘やかされて贅沢に慣れた少女たちの世間知らずな傲慢さを正したかったのだろう。教室は静まりかえった。
現代に通用する話ではない。が、その時私は悲しいような恥ずかしいような気持でガクガクして、自分の尺度を捨てて社会をきちんと直視しなければいけないと自分に言い聞かせた。後に広告の仕事をするようになって、お得感を訴えたい時も「たったの〇〇円」「わずか〇〇円」という表現はしなかった。
確かに金銭に恵まれることは幸運だが、好調な時こそ最も油断できないのかも知れない。そんな時、慢心を冷やしてくれる質の良い人間が傍にいることこそが、盗まれることのない幸運な資産になるのだろう。
本当に大事なのは、今ある自分の力で得るお金Right Money(正しいお金)。今の自分にRight on the money!(スラング:丁度いい、ぴったり)なはずだ。
2024年4月3日 (水) 銀子