銀子の一筆

どちら様ですか?

低い空・閉じた窓・緩やかに進む傘の流れ。街に本格的な雨期が近づいている。降る日には鳥も犬も猫も姿を見せない。心なしか子どもの姿も減っている気がする。草木や作物を育む恵みの雨ではあるが、気が晴れない物憂い雨の休日。こんな時はひがな一日読書に浸ろう。

着用すると姿が見えなくなるという伝説の「天狗の隠れ蓑」や、イギリスの作家ハーバート・ジョージ・ウエルズのSF小説『透明人間』など、眼には見えないが確かにいる人間の話は、空想だと分かっていても時代を超えてドキドキさせられる。姿を消す術は、特に悪事を行う者に都合の良い武器になる。誰にも知られないのだから責められることもなく、バレないのだから悪事の後は何食わぬ顔で普通の市民に戻ればいい。古代ギリシャの哲学者プラトンは著作『国家(副題:正義について)』の中で、姿を消すことができる伝説の「ギュゲスの指輪」を取り上げ、「それでも人間は正義を貫けるか」と問いかけた。以降今日に至るまで、多くの人がさまざまな考察を発表したり、文芸作品やオペラの着想を抱かせる不変のテーマになった。

■近くば寄って目にも見よ

しかし目に見えないことは、悪用されるだけとは限らない。人前に躍り出なくても実力だけで存在感をアピールし、人々にメッセージを伝えることも可能だ。所在を明らかにしてスターになることで膨大で余計な雑事を抱え込み、自分本来の生き方が浸食されるのを避けることもできる。
例えば、ストリートアートはビルの外壁やガード下のレンガ壁から見出され、ギャラリーに保護されてアーバンアート作品になるまでは、ただの落書きの一つだったし作者もアーティストではなくただの無名の誰かだった。一たびジャンルに分類され評価されると、今まで闇にまぎれて姿を見せなかった「意図」や「芸術性」・「スピリッツ」や「メッセージ」が、急に白日の下に明確になって、まるで「ギュゲスの指輪」を外したように存在感が生まれる。こうして身元不詳のままバンクシーの名は世界に広まった。埋もれていた市井の才能を、世界に問いかける作品として見出す側の感性や熱意の功績といってもいいのかも知れない。
しかし、ゲリラアートでさえあれば、彼のように評価される訳ではないことを理解していない人が、どこの町にもいる。残念なことだ。

■遠からん者は音にも聞け

首謀者にたどり着きにくい巧妙な迷路・私刑(リンチ)まがいの主張・アバンギャルドのつもりの迷惑行為などの犯罪を、姿を消してまたは匿名で行う正当な権利だと思っている人もいる。残念なことだ。
しかし匿名が必ずしも悪い方向ばかりを示しているわけではない。良心に従った内部告発も、実名では行いにくいだろう。名乗らぬ理由がある人も多いのだ。
日本最古の和歌集『万葉集』は天皇・貴族・役人・防人・農民・大道芸人など身分に関わらず、列島の北から南まで約4500首の和歌(および民謡を含む)を集めたものだが、その内の2100首以上が「詠み人知らず(匿名を含む作者不明)」だ。日本国家『君が代』の歌詞も古今和歌集の中の「詠み人知らず」とされている。人の胸に届く素直な共感や感動に、氏素性や身分在所が関わりないことを表している。

■名を名乗れ

子どもの頃ファンという訳ではないが、耳なじんだラジオ番組(ラジオ東京:現TBSラジオ)があった。夕方、下校後の子供たちが聞ける時間だった。まず刀を交えるシャキーン、シャキーンと(チャンバラの)音がして「む~ん、猪口才(ちょこざい:生意気)な小僧め!なっ名を名乗れ!」「赤胴 鈴之助!」ズンチャカズンチャカチャ♪剣をとっては日本一の~♪.........で始まる血沸き肉躍る少年剣士のドラマ(原作・少年画報・漫画『赤胴鈴之助』福井英一・2話以降は武内つなよし作)だった。が今考えると、これは少しおかしい。名乗りは戦う前に行うものなので、名も名乗らぬうちに少年剣士が切りかかったように聞こえる。(制作上の都合だったのかも知れないが)鈴之助のフライングに思える。

誰にでも誰かの思いを込めて名付けられた、その人だけの名前がある。昭和天皇は「雑草という名の植物はない」と述べている。匿名という名の人間もいないのだ。
誰もが名を秘す必要のない世の中で、姿を現しても恥じることのない生き方をしている、夢のような時代は来ないのだろうか。


2024年6月3日 (月) 銀子

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