頬に吹く風が冷たい日にも、散歩の道筋に梅の香りが届く。花を見上げれば、改めて春の訪れを知る。国内外・社会の風向きは未だ不透明だが、するべきことは見えている。新しい季節の変化とともに自身を振り返り、新しい仲間を迎えるように次のステップを踏み出そう。
耳鼻科の待合室で、母親が小学生くらいの息子に向かって話していた。「お母さん、このあと掃除機買いに行くから~」「えっ?〇〇〇〇?」と有名メーカーの名を子が言う。「バカね。そんな高いの買わないわよ」と頭ごなしに言われ、「でもさ~」と性能の良さをあげて反論したが却下され、子は傷ついたようだった。我が家の状況・購入者の評判など、母は過去の経験と今後の使用予測から合理的に判断したのだろう。が、息子はCMで見た(理想的な)機器を想像していたらしい。なぜ良い物を買わないのだろう、と思っただろう。
■自分自身のズレ
かつて自営だった頃、アシスタントのアルバイトを頼んだことがあった。必要なことをしないで自己判断で進める彼に、私は「何のために必要な作業なのか、考えて仕事してください」などと言って(多分)傷つけた記憶がある。(なぜルール通りにしないのか。こんなことなら自分でやった方が、心穏やかで速い)
ある時は、やり方の違う現場に出向して要領を得ないままアタフタして、何度も質問をし「この前も言いましたよね」などと言われて傷ついたこともあった。(なぜ一回で教えられた通りにできないのか。自分の能力が低いのか)
物事を間違いなく伝えることは難しい。目指すところに導くために教える指導は、より人間に触れるため、より難しい。誰かにとっては説明するまでもない自明の理でも、別の誰かにとっては初めて出会う謎かも知れない。または、昨日の常識は既に古い概念になっていることもある。
■本人と組織のズレ
入社して3~7年ほど経ち、ある程度は組織のことも分かってきた。ベテランとは言い難いが仕事にも慣れて、緊張する場面も少なくなった、と本人は思う。が、実はまだ知らないこと・自分と無縁ではないことが山ほどあることに本人は気づいていない。
一方その頃、組織では「そろそろ従うばかりではなく、自分で考え自ら動く自律的なビジネスパーソンとして組織の戦力になってほしい」と考えている。そこで、改めて育成プログラムが組まれる。しかし、受けた仕事を誠実にこなし・組織の中で自分なりのやり方やペースをつかんでいる・社会人としての自信も持っている、と自認している人たちを新たな段階に導くことは容易ではない。指導役は多かれ少なかれ、同じような悩みを抱えることになる。
■共に成長する
- ・自分事として考えず他人事なのか、反応が薄くて手ごたえが感じられない
- ・なかなか改善しない相手に対して指導する時、周囲への影響が気になる
- ・ハラスメントになる可能性を意識しながらの指導が難しい
- ・失敗を恐れて上司に頼り過ぎ、主体的な行動が身についていない人が多い
- ・価値観が違う人たちをまとめて、チームの一体感を生み出すことが難しい
生まれつきの自律したビジネスパーソンは1人もいない。頼りない若手社員。かつて自分も、そう思われていた一人かも知れない。その後、自分はどのようにして今の自分になったのか。誰にどう思われるかではなく、どうすれば自分が生き生きと仕事に向かえるかを考えたのではないか。指摘され指導されビジネスパーソンになったのではないか。何を間違え、何を学んだか。才能ではなくて、努力と意思だった。今も模索中の自分を思えば、少しばかり経験が長いからといって、上から指導してあげるのでは誰にも届かないのではないか。指導とは、立場は違っても縁あって同じ目標で働く仲間として、向かう方向・留意点・スキル・意識などの情報共有なのではないか。まだ見えないが、共に成長し続けるための知恵なのではないか。と考える指導役だったらいいな。
指導に必要なことは、何度でも同じ質問に苛立たずに答える度量かも知れない。記憶の程度より、理解することの方が重要事項だから。だって好きな音楽は何度でも繰り返し聴くでしょう。大事な仲間が繰り返す質問に誠実に答えることは、指導の重要件だと私には思える。
2025年2月19日 (水) 銀子