┏─────インタビューしたビジネスパーソン──────┓
◇岩永 拓家氏(Takuya Iwanaga)◇
証券株式会社入社後、支店営業課長として営業のマネジメントや、
営業企画部時代には新入社員育成を担当。
その他、全社的な営業業務改革プロジェクトでも、
コーチングの手法を用いて各支店への啓蒙及び業務改革の
定着を図る。本店検査部次長を担当した後、独立。
インソース講師。
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☆転機となった中国での起業☆
―――ご自身の転機はいつ頃ですか。
◆営業次長として仕事をした後に、検査部という部署に配属になりまして、各視点の営業のあり方や商品販売方法について検査をしていました。
それから独立して、証券仲介業を営んでいたのですが、独立後3年くらい経った頃、中国で事業を起すことにしたんです。
その時の中国での体験が、僕の中では非常に大きなものとなっていますね。
◆「すごいビジネスチャンスだ」と言われて、友人の知り合いのいる大連市に行ってみたんです。そうしたら本当に盛り上がっていて。
現地でスターバックスなど、いろいろな飲食店に長蛇の列ができているのを見て、カフェバーをやろうと思い立ったんです。
でも、実際に場所を決めて、現地の業者と契約して工事を始めたものの、全然思うように進まない。日本だったら、契約したらなにがあっても期日までには仕上げる、という決まりなのに、現地の業者の方は、「そんなこといってもこういう理由がある」と言うわけです。
僕が「そんなの関係ないだろう、契約した以上はそんな言い訳なんか通用しないだろう」と言うと逆にけんかになってしまって、全てが中断してしまうんですね。
もう一回話し合って、「それはおかしいだろう」と言うと、向こうの人はバンと机を叩いて、「もうお前とはしゃべらない」と中国語でべらべらべらと言って、出ていってしまったんです。
こっちがお金を払ってこっちが頼んで、なおかつ業者の方で仕事が遅れているのに、机を叩いて出て行くなんてどういうことだ思って(笑)。
そういったことが最初は全然認められなくて、「何だこの国は、あの人間は」というようなことを思っていたんです。
+ + +
―――その当時は、かなりカルチャーショックですよね。
◆すごいですよ。何一つうまくいかない。体重が7キロくらい減りました。開店するはずだった時期に内装ができていない、というように全然進まないまま、いつまでたっても、こんなはずじゃない、こんなはずじゃない、とどんどんジレンマに陥っていました。
その時に、業者の方とのケンカの席に同席していた方が「岩永さん、ここに何しに来たの」と言ったんです。
「一番大事なのは早くお店を作って、お客さんを呼んで利益を上げることじゃないんですか。ここであの人に勝ったとか、自分の理論が正しいとか、そういうことを第一の目標にしてきたわけじゃないでしょう」と叱られたんです。
そう言われて、そうなんだ、何を1人でいきがっているんだ、とやっと気が付きました。
実際日本じゃないので誰も慰めてもくれないし誰も手伝ってくれるわけでもないし、その時に自分が本当に手助けしてもらう人を一から自分の力で作っていくべきだし、
実は自分を応援してくれる人いるからこそ、自分の力を発揮することができるんだということにはじめて気づきましたね。
◆日本にいた頃なら、こっちがダメならあっちで、ということもできました。ところが、向こうに行ったら本当に1人なんです。なおかつ日本語も通じないわけで、通訳の人としかしゃべれない。
その時に、自分の無力感というか、1人じゃ何もできないじゃないか、ということを実感しました。
日本では、周りが協力してくれることに対しても、これまで自分がコミュニケーションとるのが上手いからだ、と都合よく解釈していたんですが、中国で自分の無力感をかみしめて、腹の底から「自分1人じゃ何もできない」ということがわかったんです。
◆そうやってどん底まで落ち込んだときに、叱ってくださった方が「ケンカしに来たわけじゃないだろう」と会いに来てくれて、業者の方も単に言い訳しているわけじゃなくて、本当にお正月休みで職人は少ないんだということ、そのような状況でも人員を確保しようとしている、ということを教えてくれたんです。
そしてもう一度「岩永さん、今は数多くの味方を作ることが、お店の発展にもつながるんじゃないんですか」と言われました。
それまでは、いつのまにか自分が依頼者だから、依頼された側はやるのが当り前だ、という、自分の中のルールを一方的に押し付けていたんですね。
それに気が付いてからは、自分の考え方を変えていきました。
その後、その方が、仲たがいした業者の方と食事をする機会を作ってくださったので、3人で会って、通訳しながらなので非常に時間はかかりましたがしっかりと話をしたことで、非常に良い関係を作ることができました。
そのあとはその業者の方との関係を中心に、連鎖的に人との関係が築かれていって、どんどんよくなっていきました。
仲良くなったら、今度はその人が僕の味方になって他の人たちを動かしてくれることもありました。
たとえば、不動産のまた違う契約とかでも有利に運んでくれたりとか。
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―――インソースの研修でも、相手の立場とか、相手の目線、というのは重要なキーワードなので、研修をする際にはそのご経験が非常に生かされているのでは?
◆そうですね。結局、サブプライム問題やら何やらで事業は撤退したんですが、中国での経験があったからこそ、本当の意味で、相手の立場に立って考えるということがわかったと思うんです。
証券会社時代の新入社員の教育やコーチングでも「相手の目線に立って」ということは考えてきたつもりだったのですが、中国に行かなかったら、いつの間にか染み付いている「上からの目線」を捨てることはできなかったと思います。
中国での体験ほど、痛いくらいにそれを実感させてくれたことはありませんでした。そしてその痛い目にあった分は、今も研修の時とかにすごく生きていると思います。
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~テレアポ・セールストークから営業管理まで"計60タイトル"~
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