---まずは、ご経歴についてお聞かせください。
◆私は1995年に文学部を卒業しました。90年代といえば失われた10年とも言われる年代です。おまけに文学部卒でしたので、はっきり言うと職がなかったわけです。
そんな中で、私は大阪の地方卸売市場に就職しました。私の最初の職場です。大阪では卸売市場は本場と東部、北部の3箇所にありまして、私がいたのは東部、天王寺の1つ先に行ったところにある市場です。
私にはなかなか過酷な職場でした。なにしろ朝が早いのです。一番始業が早いのは魚市場です。朝2時ぐらいにはせりが始まりますから、その準備を始めるとなると深夜12時ぐらいには仕事が始まります。私は青果物を担当していましたので、そこまで早くはなかったのですが、それでも朝4時半には人が集まり始め、5時には会社が開いていました。そして、6時ぐらいからせりが始まります。
---森崎さんはそこでは実際にどのような仕事をされていたのですか?
◆物流です。私は卸業者に勤めていましたので、せりで落札された商品をお客さんのところまで、ターレ(註:ターレットトラック。小回りの利く小型運搬車)で持っていくわけです。
市場では、多数の卸と場立ち(売り買いする業者)がいて、値段をつけていきます。そこでせり落とした商品を小売に売るわけです。戦後・戦前など、物がない時代は闇市なんかが立って、価格を公正に決められるところがありませんでした。そこで中央市場は妥当な価格を公示し、混乱を緩和するしくみとして機能してきたのです。ところが、現代のように物が有り余る状況になると、中央市場の役割は低下せざるを得なくなりました。
---確かに、産直などのしくみも現れてきていますね。
◆そうです。中抜きして、産地と小売が直接取引するようになってきました。そこで自ずと時代のニーズに応える仕事とは何か、と考えるようになりました。ともあれ、市場で仕事を始めてしばらくして、私は物流より、経理の方が向いているだろうということになって、経理の部門に異動することになりました。
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◇コストと時間を節約できる、業務の進め方とは◇
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---森崎さんご自身の希望というわけではなく、会社側からの異動要請だったのですか。
◆そうです。私は物流をやっている間もどうすれば効率的に業務ができるかを考えて、仕事に必要な情報をデータ化したりしていました。そんな様子が目に留まって、経理に向いているのではないかという話になったのではないかと思います。
経理を2年やっているうちに、社内の各部門の仕事が良くわかるようになり、定型的な仕事をより効率化するために社内システムを担当することになりました。
---物流担当時代の業務に対する工夫が人の目にとまり、異動のきっかけになったとのことですが、どのような効率化をなさったのですか。
◆物流現場では、特別たいしたことをしたわけではありません。少しでも効率よく顧客に商品を配送するために、顧客ごとの配送先を使いやすい形式でまとめた名簿資料を整備したりしたぐらいです。
たったこれだけのことですが、効率化を図らなくても、とりあえず業務は流れていくとなると、人は工夫しようとしないもので、誰もやろうとしなかったのです。
(つづく)