◇インタビュアー
◆舟橋
●「私がSEをやめた理由(わけ)」
◇前回では、新人時代の話を聞かせていただきましたが、その後の仕事の話も合わせてお願いします。
◆私は、SE時代、いろんなプロジェクトや新しい案件を積極的にやりましたし、開発も自分でうまくつくれていましたので、(自分でいうのは何ですが)ユーザー系のSEとしては十分に働いていたと思います。それでも、私がSEを辞めたのは、その仕事に限界を感じたからでした。
SEの仕事は、結局、誰かが、これをつくりたいと思わなければ自分の仕事をできないもので、自分がゼロから発想することが仕事の上ではなかなかできませんでした。
私は、SE時代には、仕事の楽しみは、きれいにプログラムをつくることぐらいでした。
また、SEは自分の仕事の守備範囲が決まっていて、その中をきちんとやればいい仕事ですから、一種の「万能感」を持つ人間が多く(井の中の蛙になりがちな人間も多く)、現に自分もその傾向がありました。
しかし、私はそのような小さい世界で満足できませんでした。SEの仕事をしていると、一つの仕事で完結するので、新しいチャレンジができないのではないかという危機感がありました。
SEを辞めたのは、社内で新規事業のプロジェクトがあり、その仕事をやらないかと誘われていたこともその理由ですが、仕事に限界を感じて、自分で考えて仕事をする側に回りたいなと思ったことがその主な理由でした。SEを6年続けて、情報処理の資格も取りましたが、次に、その仕事を辞め、個人の金融商品を企画するという仕事に移りました。SEの時は何かミスがあっても他人のせいにすることもできましたが、外でプロジェクトをやると人のせいにもできませんし、上に立つと、常に他人の批判にさらされる身になるので、この時、はじめて、人が敷いたレールを走るのではなく、自分でレールを敷く楽しさ・苦しさ、ゼロから仕事をやる意味・大変さを感じました。
●「テレフォンバンキング」
◆その後、「テレフォンバンキング」をつくることになりますが、最初にまず、私に与えられたミッションは、「電話で銀行ができないか」ということでした。その案件自体は、私がシステム部門にいる時に、 依頼されて、「できない」と断ったものでした。なぜ、「できない」かというと、銀行法というものがあって、本人確認と可変の暗証番号の問題があって、それがテクニカルな面でクリアーできないからでした。その他いろいろな問題もあり、「電話の銀行」をつくるまで2年かかりました。暗証番号の問題もありましたが、それよりも大変だったのが、大蔵省と交渉する時に、MOF担(大蔵省担当者、Ministry Of Finance)の壁を越えることでした。
ただ、(運のいいことに?)MOF担がいなくなって、自分で大蔵省と交渉することができるようになり、大分、楽になりました。やる前は、なかなか大蔵省の規制は簡単には崩せないだろうと思っていましたが、いざ自分でやると、思ったよりもけっこうやれました。その時思ったのが、結局、規制というのは、「内なる規制」、自己規制が多くて、根本的な規制というのはそんなにないということでした。
また、もう一つ思ったのが、規制を崩すには、
・「社会正義に反していないこと」
・「収益性があること」
・「Something New」があること
という3つのことが必要だということです。
●「テレフォンバンキングのシステム政策とSEの経験」
◆テレフォンバンキングのシステムをつくるときには、暗証番号の問題と、たくさんのシステム開発をしなければいけなかったわけですが、音声の取引と人間の動作といった、人とコンピュータを組み合わせてシステムをつくらなければいけなかったので、大変苦労しました。そういうシステムづくりに苦労しながら思ったのは、SEは嫌で辞めたのですが、スケジュールをきちんと立てる、リスクを考える、予算をどう考えるなどで、SE時代の経験・訓練が大変活きたということでした。
また、その後も企画系の仕事をする際にも、SEの経験が役に立ちました。ただ、いざ、電話の銀行をつくってみたら、全く売れませんでした。大きな販促をかけたのも関わらず・・・。
その時、今までは自分でモノづくりをすることが大変な仕事だと思っていましたが、それよりも、「売れない苦しさ」というのはもっと大変だなあと思いました。何かを生み出してそれをやり遂げるには、「1%の発想」と「9%のモノづくり」、「90%の営業力」が必要だというのが、経験から得た私の持論です。
インタビューは第3回に続きます。お楽しみに!