◇上林 憲雄氏(Norio Kambayashi)◇
英国ウォーリック大学経営大学院ドクタープログラム修了後、2005年神戸大学大学院経営学研究科教授、経営学博士。専攻は人的資源管理、経営組織。
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■難しい問い
女性管理職をどうやって育成していけばよいか―
実務に携わっておられる方々にはとても関心の高い問いです。
我が国の企業で女性が管理職に占めている割合はわずか8.8%(2008年)に過ぎず,先進諸国では最低となっています。どうやって女性管理職を育成していけばよいか,実務家の方々が悩まれるのは至極当然です。
■扱いにくい性差の問題
ただ,学術の観点から,この問いにきっちり答えるのには,なかなか難しい側面があります。その背景の1つには,まだ学術的に何もよくわかっていないから,という言い訳めいた事情が挙げられますが,今1つの背景には,男性・女性という性差を表に出して議論することが,昨今の社会ではとりわけ難しくなってきている状況があり,そのため学界で正面切って研究がなされていないことにも依ります。
一般に,「女性/男性という区別なく,すべて平等でなければならない」という考え方が主流で,それが社会的にも浸透しているためです。
■性別役割分業の意識
では,そもそもなぜ,我が国では「女性管理職比率が低い」という現状になっているのでしょうか。この点について考えてみましょう。・・・このメールマガジンでも「ロジカル・シンキングの極意」の項で以前述べたように,how toを考えるに先立って,whyを考えることが重要なので,まどろっこしいですが,この点についてまず考えてみたいと思います。
その理由には,諸説がありますが,最も有力でかつ妥当な説は,ずばり「日本はそもそも儒教文化の根付いている国家で,そこでは"男性は外で仕事を,女性は家庭を守る"という発想法(「性別役割分業の意識」と呼ばれます)が強かったから」というものです。儒教の伝統のある韓国も女性管理職比率は国際比較統計で最低水準です。
■男女の機会平等
この性別役割分業の意識は,周知の通り,ここのところ十数年で,ずっと継続的に下がってきています。女性の社会進出に伴い,またグローバリゼーションが進展するに伴い,男女を分けることは「古い」考え方として,若い世代の人々に受け入れられなくなってきているためです。
日本政府も,そうした趨勢も受けつつ,いわゆる「男女雇用機会均等法」を1985年に成立させました。その後1997年,2006年と2度の改訂を経て,男女間で機会平等であるべし,という意識は,かなり社会的に浸透するに至っています。この点も皆さんご承知の通りです。
■生物学的な性差
ただ,ここで見落としてはならない重要なポイントは,この男女雇用機会均等法も,あくまで機会の均等を謳っているものだということです。この「機会の均等」が謳われているという点を曲解して(あるいは踏み込んで解釈し過ぎて),男女間には全く差異がなく,能力も全く同じ,のような理解がされているケースをときどき見かけるのですが,実はそうではありません。
ごくごく簡単な例を挙げてみましょう。例えば,子を産む能力は女性にしか備わっていない能力です。男性はどれだけ努力を積んでも,本来的に子供を産むことはできないわけです。あるいは,スポーツ競技などの身体的能力についていえば,筋力が発達している男性の方が一般的には優れているわけで,したがって男女別に記録が競われます。
■社会的な性差
何を当たり前のことを・・・と思われる読者の方もおられると思いますが,実はこの点の認識や理解が,最近かなり怪しくなってきているのです。上で述べたように,男女の性差を前提とした議論をあまりしにくくなってきている背後には,この点に関する認識が足りていないことも影響しています。
男性・女性という性差は生物学的には当然に存在しているのであり,むしろそれは前提とした上で,そのような本人の努力次第で何ともしがたい特性を理由として,社会的に格差が設けられる(例えば機会が平等に与えられない)という点こそがあってはならない点で,問題となっているのです。
こうした基本を押さえた上で,女性の管理職育成と能力活用について,次回,もう少し具体的にみてみることにしましょう。
☆次回もお楽しみに!
「きみは営業に向いてない」
周りの人にさんざん言われていながら入社早々営業担当になってしまった中島が伝える、営業の頑張り方