【部下の視野を拡げるには】
部下の視野を拡げるには 【2】
◇上林 憲雄氏(Norio Kambayashi)◇
英国ウォーリック大学経営大学院ドクタープログラム修了後、2005年神戸大学大学院経営学研究科教授、経営学博士。専攻は人的資源管理、経営組織。
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■倫理の教科書としての孔子,孟子,孫子
前回,中国古典・荘子を読むことで,考えるうえでの視野を拡げることができるかも知れない,と述べました。そして,それは管理職になってからではなく,管理職に就く前にこそ必要であるとも述べました。
数ある中国古典の中でも,孔子の論語や孟子,孫子などは至って「まとも」な世界を説いています。「まとも」な世界とは,世俗的な価値観が権威を持ち,常識的な思考が支配する世界です。勝つためにはどう戦うべきか,部下の信頼を得るためにはどういったリーダーであるべきか,といったような「まとも」な問いです。
ビジネス界のトップ経営者に論語や孟子が受けるのは,こうしたまともな世界のあり方,倫理規範などを,これらが真正面から説いているためです。
■「まとも」な世界から離れる
しかし,『荘子』はその正反対で,あらゆるまともな価値観と真逆の発想をします。荘子の訳者・福永氏の言を借りるなら,荘子の手にかかれば,孔子の謹厳さはたちまち独りよがりのおっちょこちょいとなり,絶世の美人もたちまちグロテスクなしゃれこうべとなります。あるいは,「当代の聖賢も彼の前では翻弄(ほんろう)され,古今の歴史も彼の前では戯画(ぎが)化され,宇宙の真理も彼の前では糞尿(ふんにょう)化され,翻弄と戯画化と糞尿化の中で,人生と宇宙の一切を声高らかに哄笑する」のが荘子であるとも述べられています。要するに,現世的価値観に埋もれ,それを疑おうとしない優等生をせせら笑うひねくれ者の視点から,世界を冷徹に見つめ直そうとするのが荘子なのです。
■人間にとっての真の自由とは
人間は,自分自身の希望を叶えたいという強い欲求を持っています。その希求のために,必死に努力をします。まともな世界(例えば学校教育)では,それを尊いことであると教えられます。しかし,荘子はそうは考えません。人間の真の自由とは,現実の一切を自己の必然として肯定していく心のたくま逞しさにこそある,と述べます。一切の必然を必然として,そのまま肯定し,自己に与えられた一切の者を自己の者として愛していくところにこそ,何物にもとらわれない自由な生活があり得る,と荘子は教えるのです。哲学的で小難しいと感じられる向きには,故・赤塚不二夫氏の名言「これでいいのだ」を思い起こしてもらえればいいでしょう。すべてなるようにしかならない,と割り切ることとでもいうのでしょうか。荘子のいう「一切の肯定」とはそういうことです。自己の命運をあるがまま肯定し,積極的に受け容れることです。
■自己を喪うことがないと強くなれる
荘子は,こうしてあらゆる境遇を天命として随順していく人間を,真の人間という意味で真人(しんじん)と呼びます。
真人は,威勢盛んな栄達に身を置いても心驕(おご)ることがなく,人生の万事を,ただあるがままに受け取って思慮分別を用いることがありません。一切の所与をただ自然としてあるがままに受け取っていきますから,失敗しても後悔しませんし,成功しても得意がりません。
つまり,どのような境遇におかれても自己を喪うことがないので,常に冷静で,真に強い人間といえるのです。『荘子』のエッセンスは,この「真人であれ」という点にこそあります。
■真逆の発想から視野を拡げるきっかけを
荘子は管理職や経営者になる前に読むべき,と冒頭で述べました。その理由は,実業の世界で企業を引っ張っていかないといけない立場の方々は,社会の常識的価値観に身を置き,厳しく利益を追求し経営していくことが当然に必要で,社会的責任も伴いますから,こうした常識外れを説いた荘子など到底読んでいられないからです。経営者の方々には,やはり論語や孟子,孫子の兵法をおすすめします。
管理職になる前の若手の方々には,「荘子」を読むと「こういった逆の発想もあるのだ」と気づき,視野を拡げていくきっかけをつかむことができるでしょう。さらに,自信を失いかけている自分自身を鼓舞し,真に強い人間へと脱皮していくコツを掴むことができるはずです。
「きみは営業に向いてない」
周りの人にさんざん言われていながら入社早々営業担当になってしまった中島が伝える、営業の頑張り方