いよいよ暑さが増す街で、片手に携帯扇風機を握る人が増えている。日陰を選びながら身を運ぶだけでも十分な労働なのに、日傘やサングラス・帽子や飲料など荷物が増えるのも煩わしい。これでは英気を養いリフレッシュできるはずの、帰省やサマーフェスも命懸けだ。
なるべく日盛りには出かけたくないが、どうしてもの用事があって都心に出た。目的地まで涼しいルートを選びたくて久しぶりに百貨店に入った。あの手この手のファッショナブルで冷感のある衣料や汗に負けないコスメ・優雅な帽子や晴雨両用の傘などが溢れている。私は雨の日は雨の日の良さがあると思う質で、長靴も苦にならない。が、若い知人の1人で群を抜いてスタイリッシュな人は、暴風雨の日もパンプスを貫き長靴をもっていなかった。
彼女の職場は堅く地味な組織で、来客が少ないのでスタッフの服装は作業着やTシャツGパン、スーツなどまちまちだった。奥まった部屋で経理担当だった彼女は、ギャラリーのためではなく自分の美意識のために一人華やかだった。ブランドに関わらず多彩なアレンジや工夫で、その日毎の自分に似合う個性的なファッションにしてしまう。マスコミが発信するトレンドや企業の戦略・売り場のアドバイスなどを超える、おしゃれの天才だと思わせる素敵な人だった。(その上、穏やかで優しかった)
■困難を増す対策
百貨店では、いつ声をかけられても対応できる笑顔を並べて、各メーカーが競っている。幅広いConsumer(消費者層) に訴求するのも大変だが、彼女のような特異なCustomer(顧客)に、売り手はどのようにSatisfaction(満足)を提供するのだろう。人間社会に起き得る不満や不幸は大体似ているが、満足や幸福はそれぞれに異なるのだから。
実際、二人連れの客同士の意見が合わず仲裁に困った・探しているものがなく代替案も拒否された・客の要望が掴み切れないときのコミュニケーションに困る・説明しても客の反応が薄いなどの現場の声も聞く。私は過剰な親切やあからさまなお世辞、丁寧過ぎる対応が好きではないが、一方もっと献身的で密なサービスを求める客もいるだろう。
不満足の対応策としては、焦らずに話を聞き・ゆっくりとした口調で話し・相手が落ち着くのを待つといいとされるが、なかなか思い通りには運ばない。価値観の多様化・異文化の外国人客の増加などに加えて、国会も無関心ではいられないカスタマーハラスメントの増長など、ホスピタリティを重んじるCSは行詰っているようにも見える。
■過剰の弊害
かつて私は毎月、都内外に取材に出かけていた。今日は由緒ある記念館、明日は盆地に広がる果樹園など場所も変わるし、対象も経営者や芸術家または農業や漁業などさまざまだった。男性経営者もだが、特に女性経営者は初対面の一瞬で当方をチェックするので、服装はシンプルで清潔を心掛けた。しゃれ気や個性のない反感を買わない服装の方が仕事はうまく運ぶ。好かれるよりも、嫌われないことが信頼を得るコツだった。門外漢が分かった風な口をきく印象になるのを避けるために、事前の勉強を話し過ぎないようにも気を付けた。事務的にならずに穏やかに、近づき過ぎずに共感をもつことが大事だった。が、不快を与えていないか、いつも案じた。それだけに後で礼状や収穫した産物をいただくと、感謝でいっぱいになった。再び会うことがなくても、人間対人間の瞬時のやり取りでその後の何かが決まる。相手の顔色を見るより相手の立場だったらどう感じるかを想像するCSは、頭で分かっているよりずっと難しい。
あくまでも私の個人的な意見に過ぎないが、常々感じていることがある。商取引は対等なビジネスのはずなのに、いつの間にか消費者を許容し過ぎてはいないだろうか。CSは期待値を上回る+αの満足感という。が、CSに徹しようとするあまり、値引きやオマケではない、旧来の日本特有のウェットなサービス精神が過剰な敬い・必要以上の献身や迎合・愛想になっているのではないか。業務に支障をきたし周囲に恐怖を与えるような振舞いを前にしても、相手を鎮めるために頭を下げ続けたニュースを聞くと、商取引に上下関係や顧客のストレス解消を受容している気がしてならない。顧客が減る損失よりも、自社の人材の流出や脅しに屈するイメージなどによる損失の方が組織にとっては大きいのではないかと思える。神様ではない組織が、できることとできないことを明示する姿勢をもつことも一つの社会的責任だし、組織の信頼性を高めることにつながると思えてならない。対等な取引モラルがあってこそ初めてCSの意義が双方に活きる。と思うのは世間知らずの短絡な考えかしら。
優しさも厳しさも過ぎたるは及ばざるがごとし。1億円の取引も10円の取引も、同じように互いに感謝できる誠実なビジネスでありたい。
2024年7月26日 (金) 銀子