■奈良時代の国家プロジェクト
写経といえば、現在は書に親しむ趣味として人気がありますが、奈良時代の場合は、聖武天皇が「鎮護国家」(仏教の力で国を守る)のために、全国66国に築いた「国分寺(男性僧の寺)・「国分尼寺」(女性僧=尼の寺)において、国家守護の経典を僧尼に読ませるために、経典を大量生産する必要がありました(現在はコピー機で簡単に同じものを大量に複写できますが、奈良時代では筆で一字一字書き写してコピーをつくっていました)。
東大寺の正倉院には、この大写経事業を管理するために作成された帳簿がたくさん残っています。
ちなみに、この帳簿は、当時は紙が貴重だったこともあり、戸籍や正税帳(諸国の決算報告)などの公文書の裏に記されています。現在、奈良時代の戸籍などの公文書が現存しているのは、戸籍が保存される目的で残されたわけではなく、写経の帳簿を残す必要があったために、その裏の公文書も残ったというわけです(スーパーのチラシの裏の白地に重要なメモ書きをしたため、表のチラシの内容はともかく、そのチラシを保存するように)。
■写経事業の仕事の流れ
1.写経する材料集め(筆・墨・紙など)
写経事業を行なうためには、紙にお経を書くための筆・墨・紙などが必要ですが、まず、それらの物資がどのくらい必要なのかを見積る書類がつくられます(「用度申請解」、ようどしんせいげ、「解」は上申文書の意味)。
写経の発願主は、写経を行なう役所=「写経所」の請求を受け、筆・墨・紙などの写経に必要な物資を送るか、またはその代金の銭貨を収めます。これは、ビジネスで言えば、予算の見積りに当たります。現在と同じく、見積りが甘かった場合もあったようで、その時には、材料や代金を発願主に別途支給しています(昔も甘い見積もりでトラブルが絶えなかったかもしれません)。
2.写経する元テキストを集める
次に、写す元となるお経を借りる必要があります。50人ぐらいの人間が一度に写経するので、そのテキストとなるお経もたくさん集めなければなりませんでした。
お経は、お寺や役所・貴族宅などで所有されていましたが、お経はたくさん必要なので、一つの所からだけではなく、様々な所から、お経を集めなければなりませんでした。
そうした借りる必要があるお経の総数と、その所蔵先の情報なども「充本帳」(じゅうほんちょう)という帳簿がつくられ、まとめられていました。
3.集めた筆・墨・紙と元テキストを経師に支給
集めた筆・墨・紙とテキストとなるお経は、実際に写経を行なう経師(きょうし)に支給されます。
その際も、50人ぐらいいる経師に、「どれだけの巻数を写経させるか」、また、一人ひとりの経師に「筆・墨・紙がどれぐらい必要なのか」についても、「充紙筆墨帳」(じゅうしひつぼくちょう)という帳簿がつくられ、しっかりと管理されました。
先ほど説明した、借りる必要があるテキストをまとめた帳簿=「充本帳」と、この「充紙筆墨帳」は、「案主」(あんず)と呼ばれる、写経の事務責任者(=プロジェクトマネージャー)が、全体の作業工程を見通して、帳簿で物品を管理しました。